Rail & Bikes editorial postscript  ~ 鉄路と自転車な日々@東京西郊 ~

立場川旧橋梁(後半)

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Dscn6199.jpg後半という事で、もはや旧橋梁でもなんでもないですがこのタイトルで続けます。ここから先のツーリングは鉄橋を見学した後のおまけみたいなもんと考えてましたが、いやはや、なかなか、どうして、手ごわい感じの走りになりました。八ヶ岳(の周辺の道は)、侮りがたしというところ。

写真は原村の物件。これもちょっとだけ見て来ました。というか、ニュースでは聞いてたんだけど、行くまですっかり忘却の彼方だったという体たらく...。

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コメント(11)

Kamikubo 返信

こんばんは。
母の実家が諏訪にあり、昭和50年頃良くここを通って行き来しておりました。
祖父と叔父(母の弟)が国鉄マンでして、中央線にまつわる話をいろいろ聞きました。
中央線はとにかく山岳地帯を走るので、トンネルや鉄橋が多く難工事で、いろんな制約からトンネルや橋が小さいと聞きました。
高尾~相模湖間と、この小淵沢~富士見間のトンネルが小さいため、当時中央線を走る電車は他の路線に比べて屋根が低い車を使っていると教わった思い出があります。
輸送量が増えてきて複線化する際に、となりにもう一つトンネルを掘ることになりますが、この際だから複線用の大きいトンネルを掘って普通の屋根の車が通れるようにして、小さいトンネルの線路は廃止し、徐々に中央線を普通の規格の車が通れる路線にするのだと聞きました。
速度制限の厳しい急カーブも無くして、高速運転できるようにもしているから、中央線は新線付け替えで廃止されたトンネルや橋があちこちにあるョ。
そんな話を聞いたことを懐かしく思い出しました。

H.Kuma 返信

Kamikuboさん、お久し振りです。コメントありがとうございます。

昭和50年頃でしたらまだ立場川の旧橋梁が現役の時代ですね。仰る通りで、中央本線は勾配、カーブ、トンネル等、主要幹線としては条件が悪く、あちこちでかなり線路付替が行なわれましたね。徐々に改良されていますが、まだ非電化時代からの小断面トンネルも多く、それ用に対策を施された車両しか入れません。通過可能車には形式名のところに◆マークが付いていて判別出来るそうです。

昔はパンタ部が低屋根仕様の山スカとかありましたが、最近では折り畳み高さの低いパンタグラフが作れるようになってきて、あの特徴的な段差屋根も見られなくなってしまいました。

代々の特急電車なんかも、中央本線向けはボンネット運転台の屋根上に飛び出したヘッドライトを外す等、色々と工夫をしています。これはスーパーあずさ用のE351系なんかでも継承されていますね。

昔はスイッチバックの連続でもあったようで、その関係の名残も各駅に見付けられたりしますね。機会があれば、そういった跡なども少し観察しに行ってみたいなと思っているこの頃です。

Kamikubo 返信

hkuma 様こんばんは。
ホント、懐かしいです。
低屋根車でもパンタがめいっぱいたたまれた状態で、カーブがきつくてキーキーギャリギャリ、スキール音を響かせて列車が坂を登っておりました。
蒸気時代のスイッチバック、東京よりでは初雁、笹子、諏訪よりの新府、穴山、長坂。駅本屋の改札は下にあって、その前になにやらホームの跡、そこから階段が今のホームに続いている。そんな駅の光景が懐かしく浮かびます。
そうそう、母が「蒸気が走っていた頃は、鳥沢~猿橋間で、有名な木造の”猿橋”が車窓から見えていたよ」と言ってました。
中央線はホント、”廃な物”多いです。

和寒 返信

皆様こんにちわ。
私はこのあたりに行ったことがほとんどないのですが、興味深かったので、地形図を見てみました。

1)国鉄は、最初から現在線のところに線路を敷くつもりだったと思われます。地形図上に残された旧線の振り方がかなり不自然だからです。

2)ところが、現在線にはそれなりに主要な道路も並行しています。旧線と同じように築堤構築すると、道路は段丘崖を巻いており、付替工事が大袈裟になりネガティブ。鉄道橋の構造で何とかするならば、当時の技術からすれば旧餘部のようなトレッスル構造などを採らなければならず、相当高価なしろものになります。

3)なのでやむなく山側に振ったと推測されます。現在の地形図から読み取ると、R600以下の急カーブが三連発で、幹線系としてはいやな区間ですね。

4)昭和50年代の付替とは、国鉄の財政悪化が深刻化するなか、状況がよほど厳しかった証左です。PC橋を安価に架橋できるようになった、コスト面での進歩も寄与したと思われます。

H.Kuma 返信

和寒さん、コメントありがとうございます。
なかなか深い分析ですね。
もしかして土木方面がご専門でらっしゃる?(笑)

気になったので国土変遷アーカイブの空中写真を少し見てみました。
写真名 CCB7610-C12-1 に新ルートが開通する 4年程前の付近の様子が写っています。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CCB7610&courseno=C12&photono=1

200dpiの表示にすると既に橋梁部で工事が進んでいるらしく見えますね。
直下の並行道路はこの時点で見えないので、これより後に建設されたようです。
旧線の振り方は確かに不自然ですが、新ルートで築堤が道路に支障する心配は無かったんじゃないでしょうかね。
追記)良く見たら、以下記事中のマップ右半分でもこの点は明らかだったですネ。
http://hkuma.com/rail/fujimi/fujimi02.html

和寒 返信

> 200dpiの表示にすると既に橋梁部で工事が進んでいるらしく見えますね。

ぐもちゅ!(即死)

戯言はともかく、見立てを誤ったのは痛恨だなあ。
言い訳はしません。私の調べが足りなかった。
というわけで、ちょっと真面目になって、別の記事を立てつつあります。

H.Kuma 返信

> というわけで、ちょっと真面目になって、別の記事を立てつつあります。

先日仰ってた例の件かな? 楽しみです。

H.Kuma 返信

和寒さん、ありがとうございます。
後ほど別エントリーで紹介させて頂きますね。

とと 返信

こんにちは。
ワタクシもkazuさんの立場川橋梁訪問に衝撃を受け・・・
あんな廃鉄橋が存在していたのか!と驚きまして現地訪問。
その異様な存在感にしびれてしまい・・・作ってしまった一人です^^;
駄作ですがいちおうご覧いただけたら・・
http://blogs.yahoo.co.jp/tomayukako4375/50862019.html

H.Kuma 返信

コメントありがとうございます。

ととさんのモジュール、拝見しました。
鉄橋も全部フルスクラッチでゼロからお作りになったのですねぇ。
立場川橋梁がとても精密に表現されていて感激しました。
あの鉄橋の景色には夏の日差しがとても良く似合いますね。

私もセクションらしきもの作ってからだいぶ経つので、また何か作りたいなぁ。
https://hkuma.com/sect/

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