「東臺門のその奥に」後半を公開しました。今回の焦点は車両搬入にあたっての連絡線が敷設された具体的位置です。鉄道ピクトリアル誌第632号(1997年1月臨時増刊)に掲載された石本祐吉氏の記事では、上野台地の裾を登る短い連絡線が築かれた事が記述されていますので、これについて過去の空中写真から痕跡を追ってみました。方法としては(南津電鉄の時の手法を流用し)米軍撮影の画像とGoogleマップを重ねてみたわけですが、なかなか興味深い結果となりました。
「東臺門のその奥に」後半を公開しました。今回の焦点は車両搬入にあたっての連絡線が敷設された具体的位置です。鉄道ピクトリアル誌第632号(1997年1月臨時増刊)に掲載された石本祐吉氏の記事では、上野台地の裾を登る短い連絡線が築かれた事が記述されていますので、これについて過去の空中写真から痕跡を追ってみました。方法としては(南津電鉄の時の手法を流用し)米軍撮影の画像とGoogleマップを重ねてみたわけですが、なかなか興味深い結果となりました。
和寒 返信
リンクしていただき、感謝申し上げます。
H.Kuma 返信
和寒さん、コメントありがとうございました。
期末でお忙しそうですね。
お体ご自愛下さい。