戦時中に軍需輸送目的での特別列車の運行や、空襲により焼失した電車を融通する補填車両の送り込み等の為に、路線間、あるいは場合により別な鉄道会社間で一時的な連絡線の設けられた例がいくつか見られます。その中でも、今回ご紹介する京成本線と山手線の間での連絡線は、かなり特殊な例と言えるのではないでしょうか。何しろ当時の運輸省側が使いたかったのは京成の線路でなく、「トンネル」なのですから。
戦時中に軍需輸送目的での特別列車の運行や、空襲により焼失した電車を融通する補填車両の送り込み等の為に、路線間、あるいは場合により別な鉄道会社間で一時的な連絡線の設けられた例がいくつか見られます。その中でも、今回ご紹介する京成本線と山手線の間での連絡線は、かなり特殊な例と言えるのではないでしょうか。何しろ当時の運輸省側が使いたかったのは京成の線路でなく、「トンネル」なのですから。
東本郷 返信
ご無沙汰しております。
このエピソードは謎が多いですよね。もっとも、この謎の中心は証言者の記憶がマチマチ…と云うことが中心のようですね。
昭和8年生まれの父がいうには、上野を出発した電車が日暮里に向かう際に、勾配を登り切れずバックして助走をつけて登ったことがあったそうです。
H.Kuma 返信
東本郷さん、お久し振りです。
人間の記憶って案外あいまいなものですよね。
自分でもこれは確かって思ってても、親に聞いたら全然違ってたなんて事も…。
> 上野を出発した電車が日暮里に向かう際に、勾配を登り切れずバックして助走をつけて
って事は、トンネルから外へ登り切れなかったわけですね。
あそこの勾配は京成線内でも最も急らしいですから、昔の重い電車だとキツかったでしょうね。
東本郷 返信
>助走をつけて
恐らくですが、寛永寺坂駅の廃止はここが原因なのでしょうか?
記憶の引出しが空いたので、もう一つ。
祖父がよく言っていたことですが、「京成はきた電車に乗れよ」。
理由を聞くと、電気を止められて電車に缶詰めになったことが何回かあったようです。
今考えれば、電圧降下だったのでしょうか?
H.Kuma 返信
> >助走をつけて
> 恐らくですが、寛永寺坂駅の廃止はここが原因なのでしょうか?
それも理由の一つだったようです。
Wikipediaにそのような事が書いてありますね。
> 今考えれば、電圧降下だったのでしょうか?
昔の京成電車ならありそうな気もします。
戦時中とかだったら、他の鉄道会社でも頻繁にあったかも知れないですね。
KO 返信
管理人様 メールを頂戴しましたKOと申します。リンクについては全く問題はございません。同じ謎を探求したということで親近感が湧いて来ました。私はこの場所から徒歩圏内に住んでいながらつい最近までトンネルの謎について知りませんでした。調べると色々出てきますがこのトンネルについては情報が乏しすぎます。
旧御隠殿坂駅を出てトンネルを抜けたところは40‰の急勾配です。非力な電車では勢いを付けないと登れなかったかもしれませんね。
H.Kuma 返信
KO様、コメントいただきありがとうございます。
ほんとうに、このトンネルについては謎が多いですね。
情報が少ない中、貴サイトの記事も大変参考になりました。
お近くにお住まいということで、詳細な写真で現場の状況が良く理解出来ました。