Rail & Bikes editorial postscript  ~ 鉄路と自転車な日々@東京西郊 ~

南津電鉄線路平面図

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Dscn4985.png南津電鉄線路平面図の記事がようやくまとまりましたので、以下コンテンツを公開開始します。

今回、位置関係が分かりやすいようにと考えて、Google Maps API を利用して現在の地図と重ねてみました。このAPIを使うのは初めてでしたので、お勉強しながら進めた関係でかなり時間がかかってしまいました。また、マップ用に路線図のスライス画像を作るのも枚数が多くて結構しんどかった(^^;) です。ブラウザによっては多少見づらい場合もあるかも知れませんが、その辺をお汲み取りいただけると嬉しいです。

南津電鉄資料について、色々とご協力いただきました相模原市立博物館殿に感謝申し上げます。

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コメント(4)

和寒 返信


ひでぶ! あべし! (即死)

相原でスイッチバック接続だなんて、想像できませんよ~。(苦笑)
しかもR160(現在でもほぼ最急曲線)で横浜線を乗り越えていくなんて……。電車だけならばともかく、貨物を走らせる気があったとは考えにくい線形です。

Rの向きからして逆になるから、残った痕跡らしきものを追ってもいけなかった、という話ですな。
かろうじて、峠越えのあたりは読めましたが、それだけだなあ。

というわけで、和寒流はほとんど通じませんでした。東上鉄道論を打つべきかどうか、不安になってきますわ(苦笑)。


追伸:
BC・ECの解釈は、文中のもので正解です。

H.Kuma 返信

和寒さん、こんばんは。

だいぶダメージ受けました?
私が出し惜しみしてたせいですね(^^;)
スイッチバックは自分でも唖然としました。
この辺はどうも、今一つ南津の意図が読めきれてません。

BC・ECの解釈、和寒さんが仰るなら間違いは無さそうで安心しました(笑)

N.Toyoshima 返信

こんにちは。

見せて頂きました禁断の資料。
思わず旧版地形図を持ち出して見比べてしまいました。

さて、横浜線相原駅近辺ですが・・・。
なんだか面白いことになってますね。
よく見てみると「第1期線終点:2M02C」の文字が。
という事は、

 第1期線 相模川尻~横浜線相原
 第2期線 横浜線相原~一ノ宮

と、二つの区間に分割することを前提としていたでしょうか。

ところで、

参考書には支線のように書かれている横浜線相原~相模相原間ですが、相模相原駅の位置が異なっていたとは言え、あながち誤りであると言えないものがありまして。

相武電鉄免許書類の中に南津電鉄の路線が略図として描かれているものが幾つかあるのですが、昭和7年前後のものには、横浜線相原~相模相原間が支線として記されています。
平面図と略図のどちらが後先か判りませんが、一時は

 第1期線 相模川尻~相模相原~横浜線相原
 第2期線 相模相原~一ノ宮

と計画されていたこともあったのかもしれません。

こういう謎が出てくると、探索の虫が疼きますね。

H.Kuma 返信

N.Toyoshimaさん、コメントありがとうございます。

相原支線の件、終章に記したように私も間違いであるとは思っておりませんで、その事業推進の中でおそらく計画も色々と変遷していたんだろうなと考えていました。略図にあるという事は、やはりある段階では横浜線相原へ分岐する形の計画がされていたっぽいですね。

ただちょっと不可思議に思えるのは、サトウ氏もこの路線平面図を閲覧したというような言及をされているのに、このスイッチバック配線に関しての記述は皆無なんですよね、あの本の中では。これだけのキッチリした資料なのに、それに触れなかったのは何らかの意図があっての事なのでしょうかネ。そんな疑問も生まれてきます。

第1期、第2期線に関しては、やはり全線を一気に開業するのは資金的に無理があると考えていたのでしょうね。実際には それでもごく一部しか着工出来なかったわけで、私企業が鉄道インフラを造るという事の厳しさを垣間見せてくれます。

で、私としてはこの路線図沿線もまた現地探索してみたい衝動に駆られている昨今なわけですが、まぁ今の時期じゃ途中でへたばってしまいそうですので、もう少し涼しくなるまで自制しておきたいと思います。ま、ここに関してはストリートビューで大体の感じは掴めちゃうんですけどね。

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