南津電鉄の多摩一の宮編を公開しました。今回で一応連載完了ですが、多摩川を渡った先の間島駅予定地あたりを追加で再訪していた為に少し公開が遅れました。最初に自転車で行った時には間島がどこなのか今ひとつ認識していなかったのですが、後で地図を見てその名に関連する地区を発見したので、改めて徒歩で覗いて来たわけです。
> 南津電鉄[多摩一の宮編] <
写真は聖蹟桜ヶ丘、玉南の関戸駅ですね。もしも乗り入れが実現していたら、向うのホームに南津線からの電車が滑り込んで来ていたかも知れません。
ところで、先日相模原市立博物館へ行って来ました。横浜線の淵野辺駅から徒歩で20分程度かかりますが、緑の木立ちに囲まれた気持ちの良い施設です。ちなみに道路挟んでお向かいにはあのJAXAの相模原キャンパスがあります。
相模原市立博物館
訪問の目的は所蔵されている南津電鉄の路線図を見せてもらうためです。今回の記事で参考にさせていただいたサトウマコトさんの著書「幻の相武電車と南津電車」でも文献として紹介されていますが、誌面中の路線図は著者の手描きのようで、原本の図面は出て来ません。なのでここはやはり一次資料を見ておくべきかと考え、申請して閲覧許可をいただいた次第です(常設展示はされていません)。
南津電鉄線路平面図
相模原市立博物館所蔵
図幅は「相模川尻相原間線路平面図」と「橋本鑓水間線路平面図」の2枚で、青焼きの横幅1.5m位ある大きな資料です。それぞれ資料研究室の会議机に広げた状態で撮影をさせていただきました。といっても、とても一枚の写真では詳細を記録し切れないので、部分に分けてクローズアップを撮りました。
南津電鉄線路平面図(部分)
相模原市立博物館所蔵
一通り撮った後に、立ち会っていただいた職員の方と会話しながら改めて眺めているうち、先の参考書の記述で理解した路線とは随所に相違点があるのに気づきました。後ほどもう少し見やすい状態にしたものをまとめてアップしたいと思いますが、とりあえず相模川尻停車場の部分はこんな感じです。Y字路よりもかなり奥まった場所、役場に隣接して駅の建設が予定されていた事が分かります。線路も道路を横断するのでなく、そのまま北東へと向かっていますね。
この食い違いは計画段階で当初の案に対して地元と(特に相原村内では)色々調整が図られた結果なのかも知れません。他にもいくつか興味深い新発見がありましたので、近日中に別記事としてまとめてみたいと思います。これは現地へもまた一回自転車を走らせないといけないかもですね。
N.Toyoshima 返信
こんにちは。
20Km近い探索、お疲れ様でした。
沿線の様子をレポートから拝見させて頂き、その目的は違い形は変わっても、南津はいつか必要となるべき路線であったことを改めて実感しました。
ところで、とうとう禁断の資料、“予定線路平面図”を見てしまったのですね。アレを見ると一度行った所でも、もう一度行かなくてはならなくなるという呪いをかけられるとか。(冗談ですが・・・。)
相模川尻からの路線は、確かに仰られる通り久保沢街道を渡るはずがないですね。街道を渡って直進すると、橋本駅あたり行ってしまい、相原駅連絡線の意味がなくなってしまいますので。
昭和5年の旧版地形図を見ても、久保沢街道のルートが現在とそれほど違ってはいないので、ご指摘の通りだと思います。
追補のレポートも楽しみにさせて頂きます。
H.Kuma 返信
N.Toyoshimaさん、こんにちは。
ハハハ、禁断の資料ですか。
確かにあれは、見てはいけない玉手箱を開けてしまったという感じがしました。
何しろ相模相原の駅位置も参考書とは全然違ってましたので。
という事は、N.Toyoshimaさんもこの図面、見ておられたのかな?
そういえば博物館職員の方が、少し前にもこの資料を見に来られた方がいると仰ってましたが、ひょっとして…
N.Toyoshima 返信
こんばんわ。
南津の予定路線平面図については見たことがないのです。
別路線(相武電鉄厚木新横浜線)の路線平面図の複写は手元にあるのですが・・・。(最近、こちらの探索をちまちまと進めています。)
この図面を手にしてしまうと、南津のことも追いかけたくなるので、怖くて怖くて・・・。
H.Kuma 返信
厚木新横浜線ですか。
相武の方も平面図があるんですね。
地図とか図面を見ていると色々な発見があって、何だかゾクゾクしますね。
和寒 返信
御無沙汰してます。
未成線のトレースとは、面白い企画です。
で、当方も東上鉄道で編み出した「和寒メソッド」がどこまで通用するか、航空写真も当初図面も見ずに無謀を承知で、敢えて現状地図だけで推測してみました。gifで見にくいところは御勘弁を。
(橋本付近のみ。URL参照)
なお、詳細はヤフー地図で拡大してみてください。
【道路AB】
Aのまっすぐさ加減、Bの曲率から、ここは間違いないと判断して固定。
特にAは、畦道ならば入る急曲線、クランクがなく、確実かなと。
Bもかなり怪しい曲率。ただし、空間的には、北側の住宅・空き地のほうが有意と判断。
【切取E】
新しい住宅地の様子。外延道路は等高線状になっていると判断。
地形なりに鉄道線路を敷くとこうなるのでは?
要するに、峠越え箇所をここで固定してみた。
【建物C】
最高に怪しい物件。ウナギの寝床のような地割で、しかも縦につながった集合住宅のようで、もともと鉄道用地として取得された土地ではないか、と判断した次第。
【謎の造作D】
峠越えの線と、西側からの線をぶつけると、ほぼ直角に交差する。よって、どこかで曲がらなければならない。
そんな場所がどこにあるのか、と探してみたら、この怪しい造作が目に入ってしまった。
UR住宅の一角に、構内の道路のようで、四分の一円状の道路がある。ここに曲線をあてはめれば、ピタッと線形が成立!
難点は、半径百m前後の急曲線になること。だから多少無理のある推測になっているとは自覚してます。とはいえ、建物Cの確実性が高いと思いこんでいるので、もーどーにも止まらない!状態です(苦笑)。
正解を知るのが楽しみ、というより正直怖いですな(苦笑)。
ま、私はこの程度の推測をしていると御参考になれば。
和寒 返信
連続ですが。
実はもう一本怪しい線があるのに気づきました。
相原小付近で北側に分岐
→星の子保育園南
→グランドール北側でJRと交差
→都市計画道路?予定地なりに曲がる
→香福寺南
→ゆうゆう保育園
→UR住宅
要するに、西側部分は都市計画道路?予定地にとりこまれそうな線形がある点がポイント。あと、香福寺南側の住宅の並び方がかなり怪しげなので。
こちらの方が、先ほどよりまだ素直かな?
想像を逞しくしていくと面白いです。
和寒 返信
またまた自己レス恐縮です。
先ほどの投稿を図化してみました。
http://www.geocities.jp/history_of_rail/trial2.gif
最初の案を変形させたものも用意しました。
D’で旧河道(行政境)と直行するので、自分のなかでは最も確度が高いと踏んでます。
Fは建物のシェイプから、こういう敷地割かと判断した次第。
http://www.geocities.jp/history_of_rail/trial3.gif
H.Kuma 返信
和寒さん、こんばんは。
南津電鉄ルートクイズにご参加いただきありがとうございます。少ない情報からこれだけ展開していただけるのはさすがです。なんか、一人だけ正解を知っている司会者のような気分です(笑)。
ルートの推測にあたっては参考書「幻の相武電鉄と南津電鉄」に載っている図や証言が手がかりになっているんですが、その辺の手の内を明かしていない私もズルいですね。この区間は用地買収も殆ど進展がなかったと聞いてますんで、街並みに何らかの痕跡が残っているというのは考えにくいかも知れません。
あと、未成線なんで計画ルートも色々と変遷があったりしますので、どれをもって正解とするのか難しい部分もあります。今回博物館で見て来た線路平面図は参考書とはかなり乖離した部分もあって、私としてはちょっとした衝撃でした。
ちなみに trial2.gif の横浜線より西側は、昔の久保沢街道の名残りじゃないかなという気もします。以下、明治期の地図では「窪澤街道」となっていますね。
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=15&lat=35.60&lon=139.33&layers=B0
和寒 返信
懇切な回答ありがとうございます。
二案目は旧街道でしたか~。
私の目には、現状未成の都市計画道路?が導入されるであろう空間として飛びこんできたのです、実は。
そういうのは大抵、取得土地処分につながっていたりするのですが、旧街道ということならばちょっと違いますね。
それよりも「歴史的農業環境閲覧システム」には驚きました。
これにはハマりそうな予感(^^)ゞ。
H.Kuma 返信
なかなか面白いですよね、「歴史的農業環境閲覧システム」。
何しろ新橋~横浜間が開通した位の時代ですから、鉄道が通る以前の状況なんかを探るには良い資料です。