引き出しの奥からこんな冊子が出て来た。1987年11月22日に立川の昭和記念公園で行なわれた「国際 スーパー・クリテリウム」(SUPER CRITERIUM INTERNATIONAL)第一回の公式ガイド、今から20年以上も前のものである。かつて海外の有名選手を招待して日本で行なわれたクリテリウム(市街周回レース)、公園の入園券だけ買えばとりあえず周回路から観覧出来たので、私もいそいそと出かけて行ったのだ。
リストを見ると、実にそうそうたるメンバーである。何しろあのモゼールが昭和記念公園を走ったのだ。他にもアメリカのレモンをはじめ、ロッシュ、デルガド、クリケリオン、ズートメルク、モテなど、超有名な選手達の名前が並んでいる。今、このクラスのレーサー達を集めようとしても、実現は不可能に近いだろうと思う。
当時はテレビでツール・ド・フランスが本格的に放映され出して、一般の人々の間にもその人気が浸透し始めた頃だったと思う。お断りしておくと、私はレース展開には詳しくないしあまり興味もない、もちろん自分でレースに出た経験も皆無だ(サイクルマラソンならあるが)。でもツールのあの雰囲気は好きだったし、せっかく近場で開催されるんだからと思って見に行った。
一流選手の走りはなかなか迫力があった。既にシーズンオフで選手達にとってはエキシビション的で本気モードでは無かったのだろうが、研ぎ澄まされた自転車に乗った大きながたいが信じられないスピードで目の前をぶっ飛んで行くのに感動した。だがあまりに一瞬でどれが誰やらわからないし、レースの駆け引きの何たるかを知らない私は競技自体にはあまり惹きつけられなかった。
ミスアンドアウト、タイムトライアル、クリテリウムと行なわれた各レースの結果もあまり印象にないが、当時日本人として唯一ヨーロッパで活躍していた市川雅敏選手がゴールした直後に目の前に飛び込んで来たのが記憶に残っている。サインを求める観客に対し「ちょっとクールダウンさせて下さい」と言い残し、その小柄な体で自転車に跨ったまま軽やかに公園内に消えていったシーンが目に焼き付いている。
それで思い出したがこのレース、他に私の注目していたフィニョンも走っていた気がするのだが、この時の出場者リストには名前が見当たらない。思い入れのある選手だったので自分の妄想?...思い過ごしかも知れないが、後に行なわれた89年の方(興行としては結局この2回で終了してしまった)には出走しているから、そちらの方も見に行ったのかも知れない。
ローラン・フィニョン... その自転車競技選手とは思えない風貌が私は好きだった。イノーの宿敵とも称された彼は、パリジャンのインテリでニックネームは「プロフェッサー」。丸めがねで、ちょっとくたびれた金髪をポニーテールにしている(その外見は当時、志村けん似とも言われた)。ストイックでガラスの脚と評され、神経質で職人的な選手だった。マスコミやファンに対して一定の距離を置き、人あたりはあまり良くなかったという話もある。そういうところもまた個性の強い選手だが、ツールでは2回総合優勝している。
現在49歳。癌との闘病生活を送っているというニュースが流れているが、快方に向かってくれる事を祈りたい。
参考リンク:
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-21.html
http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=12701
http://mujina.txt-nifty.com/shintsu/2010/06/post-f024.html
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ブログ「東京西郊日記」に懐かしい記事を発見(↓)。 http://hkuma.n 続きを読む
Mujina@新幹線 返信
おっと、懐かしい。
そのレース、観に行きました。すごかったです。
その2年後、同じコースをレースで走りました(笑)。
最高のレースでした。
H.Kuma 返信
ああ、そうかぁ!
Mujinaさん、バリバリのレーサーですもんね。
あのツール・ド・ジャパン立川ステージで優勝されてたのですね。
すごいなー。
スーパークリテも観戦されてましたか。
という事は、当日あの公園のどこかでニアミスしてたかもしれない…
って、当時はまだお知り合いになる前だったわけですけどね(^^;)
ヴァルデマール・シュトルンク 返信
こんにちは。
先ほどは拙ブログにコメントありがとうございました。いや、もう23年も前の話ですが、同じ体験を共有している人がいるのは嬉しいものです。
そうですね、フィニョンの参戦は2回目の89年です。87年のときは来ていません。ついでながら、レモンも直前キャンセルでした。
2回目はケリーやロークス(88年のツール2位)など、やはり、かなりの大物選手たちが大挙してやってきたのでした。
H.Kuma 返信
ヴァルデマール・シュトルンクさん、コメントありがとうございます。
そうですか、レモンは直前キャンセルで実際には走ってないんですね。
それでもこれはまだ充分、夢のようなレースでしたね。
ヴァルデマール・シュトルンクさんのプログラム冊子、各選手のサインが入っているのできっと私のよりかなり価値が上がってますね。
CYPRESS 返信
今日は。
『惨憺たるアンコウ』経由でやって来ましたm(__)m。
フィニョンについて
1:
性格悪いです。
英語しか読めないのでアメリカとイギリスの記者の書いた記事しか知りませんが、褒めた記事を読んだことありません。
(尤も性格が悪いのはフィニョンだけでなく、強い選手はまず性格が悪い。少なくとも現役時代は友達付き合いしたくない)
2:
自分の過去に関心が無く引退後のインタビューは、殆ど無いはず。
あれだけの成績を残したのに私が読んだのは英国CYCLE SPORT誌2005年8月号のみ。
この時もイギリスでゴルフやらせてやると言われたんで行ったとか。
3:
1989年のスーパークリテリウムはイタリアのBICI SPORT誌が大きく取り上げました。
フィニョンの髪型と眼鏡を真似したファンとフィニョンが並んで撮った写真が載っていたのを覚えてます。
H.Kuma 返信
CYPRESSさん、ようこそ。
コメントありがとうございます。
それもこれも含めて、フィニョンがフィニョンたるゆえんなのかも知れませんね。
ある意味、プロ選手に爽やかさとか高潔さみたいなものを求めるのは、日本的な文化とも言えるでしょうかね?
サイクルツーリズム(taka) 返信
ローラン・フィニョンが走った、国際スーパークリテリウムの確認がしたくてたどり着きました。
私のもやっとした記憶でも第1回ですが、どうも1989年が正いようです。
当方、自転車乗りですが、若干鉄も入っており、7月には北陸トンネル旧線を自転車で走りました。
H.Kuma 返信
takaさん、コメントありがとうございます。
フィニョン、亡くなってしまったのですか…。
貴ブログを拝見して知りましたが、快復を祈っていただけに残念です。
スーパークリテリウムは、やはり第2回目に出場したようですね。
後ほどそちらにもコメントさせていただきます。
braune 返信
はじめまして。ローラン・フィニョンで検索してこちらのページを拝見しました。
私も1989年のクリテリウムを見に行きました。
とてもリラックスして楽しんでいたような印象でした。
追悼の気持ちをこめて、当時の写真を私のブログにアップしました。
braune 返信
失礼しました。リンク先が誤っていました。訂正いたします。
H.Kuma 返信
brauneさん、こんにちは。
コメントいただきありがとうございました。
そうですね、ツール本番のような悲壮感は無くて、選手たちはリラックスしていたと思います。
あ~、私も写真ぐらい撮っておくんだった。貴重な機会だったのに残念です。