東北あみだ紀行(三日目) 東北あみだ紀行(三日目)を公開、今回でこの旅も終わりです。最終日にも若干のハプニングがありました。写真は気仙沼線の本吉駅付近だったかと思いますが、山の名は… わかりません(^^;) >東北あみだ紀行< トラックバック(0) トラックバックURL コメント(4) 西村鉄翁 2006.9.23 返信 大変お疲れの3日間でした。最終日は文字通り、朝星から夜星まで、まる一日間たいしたものです。 私は柳津から「登米」(とよま)へ行き、明治期の建物群を見たいとかねてから考えており、近く実行の計画をしております。仙北鉄道の遺構があるのでしょうか。 H.Kuma 2006.9.25 返信 コメントありがとうございます。 > 大変お疲れの3日間でした。最終日は文字通り、朝星から夜星まで、まる一日 > 間たいしたものです。 なかなかきつかったですが、まだ昼間のうちの移動だと景色の見える分だけ楽に感じられるようでした。 > 私は柳津から「登米」(とよま)へ行き、明治期の建物群を見たいとかねてから > 考えており、近く実行の計画をしております。仙北鉄道の遺構があるのでしょ > うか。 おぉそういえば仙北鉄道、ありましたね。 今回はノーチェックでしたが、遺構などあればぜひ見に行きたいと思います。 登米は駅舎も残っていて、資料館などもあるそうですね。 西村鉄翁 2006.10.1 返信 旧登米町に9月29日に行ってきました。 登米駅の建物がそのままバス会社の営業所に、待合室はバス乗客の待合室として使われていました。資料館という程の施設は無く、待合室の片隅に、機関車の模型が2台と手旗、それに合図灯が置かれているだけでした。 仙北鉄道の軌道跡は、町の観光案内図に記されていますが、並行する県道が拡張されたり、登米市の支庁が作られりで、消えてます。 なお、写真を付けたいのですがどうしますか。 H.Kuma 2006.10.1 返信 登米駅、行かれたんですね。資料館は名ばかりでしたか。軌道跡のほうもあまり残っていないのですね。 写真は、送って頂ければ掲載させて頂く事も可能ですよ。 コメントする 名前、ニックネーム URL(任意) ログイン情報を記憶 コメント
西村鉄翁 2006.9.23 返信 大変お疲れの3日間でした。最終日は文字通り、朝星から夜星まで、まる一日間たいしたものです。 私は柳津から「登米」(とよま)へ行き、明治期の建物群を見たいとかねてから考えており、近く実行の計画をしております。仙北鉄道の遺構があるのでしょうか。
H.Kuma 2006.9.25 返信 コメントありがとうございます。 > 大変お疲れの3日間でした。最終日は文字通り、朝星から夜星まで、まる一日 > 間たいしたものです。 なかなかきつかったですが、まだ昼間のうちの移動だと景色の見える分だけ楽に感じられるようでした。 > 私は柳津から「登米」(とよま)へ行き、明治期の建物群を見たいとかねてから > 考えており、近く実行の計画をしております。仙北鉄道の遺構があるのでしょ > うか。 おぉそういえば仙北鉄道、ありましたね。 今回はノーチェックでしたが、遺構などあればぜひ見に行きたいと思います。 登米は駅舎も残っていて、資料館などもあるそうですね。
西村鉄翁 2006.10.1 返信 旧登米町に9月29日に行ってきました。 登米駅の建物がそのままバス会社の営業所に、待合室はバス乗客の待合室として使われていました。資料館という程の施設は無く、待合室の片隅に、機関車の模型が2台と手旗、それに合図灯が置かれているだけでした。 仙北鉄道の軌道跡は、町の観光案内図に記されていますが、並行する県道が拡張されたり、登米市の支庁が作られりで、消えてます。 なお、写真を付けたいのですがどうしますか。
西村鉄翁 返信
大変お疲れの3日間でした。最終日は文字通り、朝星から夜星まで、まる一日間たいしたものです。
私は柳津から「登米」(とよま)へ行き、明治期の建物群を見たいとかねてから考えており、近く実行の計画をしております。仙北鉄道の遺構があるのでしょうか。
H.Kuma 返信
コメントありがとうございます。
> 大変お疲れの3日間でした。最終日は文字通り、朝星から夜星まで、まる一日
> 間たいしたものです。
なかなかきつかったですが、まだ昼間のうちの移動だと景色の見える分だけ楽に感じられるようでした。
> 私は柳津から「登米」(とよま)へ行き、明治期の建物群を見たいとかねてから
> 考えており、近く実行の計画をしております。仙北鉄道の遺構があるのでしょ
> うか。
おぉそういえば仙北鉄道、ありましたね。
今回はノーチェックでしたが、遺構などあればぜひ見に行きたいと思います。
登米は駅舎も残っていて、資料館などもあるそうですね。
西村鉄翁 返信
旧登米町に9月29日に行ってきました。
登米駅の建物がそのままバス会社の営業所に、待合室はバス乗客の待合室として使われていました。資料館という程の施設は無く、待合室の片隅に、機関車の模型が2台と手旗、それに合図灯が置かれているだけでした。
仙北鉄道の軌道跡は、町の観光案内図に記されていますが、並行する県道が拡張されたり、登米市の支庁が作られりで、消えてます。
なお、写真を付けたいのですがどうしますか。
H.Kuma 返信
登米駅、行かれたんですね。資料館は名ばかりでしたか。軌道跡のほうもあまり残っていないのですね。
写真は、送って頂ければ掲載させて頂く事も可能ですよ。