結局開通せずに終わってしまった南津電鉄ですが、参考書にも書いてある通り、その終焉の時期には内外での揉め事も色々とあったようです。この辺に関して別稿にまとめましたので、以下公開致します。ネットで検索している中で南津役員ご子孫の方の述懐に巡りあう事が出来ましたので、この中でご紹介しています。
> 南津電鉄事件 <
写真は上柚木付近から多摩ニュータウン方向を眺めた景色です。このあたりでは線路が街道のどちら側に計画されていたのか分かりません。私の予想だとこの景色とは反対方向なのですが、もちろんこちら側の可能性もあります。手前の大栗川を渡る橋が「協力橋」と言うのも、何だか曰くありげな感じがしますね。
ところで相模原市立博物館で撮影させていただいた南津線路平面図の方ですが、公開方法を模索していまして、色々と試行錯誤しております。
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