「八王子市街電車の野望」、続きまして探訪編後半を公開します。区間は浅川(現高尾)駅前から東八王子(現京王八王子)駅まで。走ったのは昨年末ですが、甲州街道のイチョウ並木も殆ど葉を落とした後で、日当りは良かったけど寒い一日でした。
追分交差点あたりは写真のような形で軌道が走っていたようです。ここを自転車で抜けるのは、方向によっては苦労しますね。手前の矢印のいっぱいある交通標識がその複雑さを物語っています。
「八王子市街電車の野望」、続きまして探訪編後半を公開します。区間は浅川(現高尾)駅前から東八王子(現京王八王子)駅まで。走ったのは昨年末ですが、甲州街道のイチョウ並木も殆ど葉を落とした後で、日当りは良かったけど寒い一日でした。
追分交差点あたりは写真のような形で軌道が走っていたようです。ここを自転車で抜けるのは、方向によっては苦労しますね。手前の矢印のいっぱいある交通標識がその複雑さを物語っています。
やまいも 返信
父(昭和3年生まれ)は、廃止直前の頃に学校遠足でこの市街電車に乗ったとのこと。ふだん乗り慣れていた東京市中の市電に比べ小さい電車だったので記憶に残っているそうです。長いこと、廃止理由を戦時中の事情から「不要不急線」扱いか「空襲被害」と思っていたようですが、赤字路線だったからと知って妙に安堵しておりました。
H.Kuma 返信
やまいもさん、こんにちは。
お父様はこの電車に乗られた経験があるのですね。
貴重なお話をありがとうございます。
廃止されたのが1939年、不要不急線廃止のきっかけとなった金属供出令の出されたのが1941年との事です。
この路面電車がもう少し生きながらえていたら、間違いなく該当したでしょうね。