浅川駅前~追分

浅川駅前から追分にかけては、大正天皇の大葬に対応して甲州街道が広く拡張され、武中電車も道路中央部を余裕の複線敷で確保していました。 ただ実際に線路が敷かれていたのは片側だけで、また軌道敷内も敷石は道路側端のみ設置で、レールとレールの間等は未舗装だったそうです。 さて探索の方は自転車で道路の真ん中を走るわけにもゆかないので、広い歩道をポタポタと散歩気分で進みます。 道路端に以前は鉄製の架線柱も残っていたそうですが、今は全て撤去されてしまったみたいです。 ここは秋にはイチョウ並木の黄葉が見事ですが、さすがにこの季節では殆ど散ってしまって後の祭り。 その代わり地面には銀杏の実が落ちていて、踏み潰されたそれは独特の香りが少々鼻をくすぐります。 茶碗蒸しなんかで食べる分には美味しいんですけどね。

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18. 甲州街道もこのあたりは4車線で幹線大通りという感じ(※)
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町田街道を右に分けてしばらく進むと多摩御陵入口の交差点、このあたりから御陵門前まで行く支線敷設計画は実現には至りませんでした。 次の並木町交差点は京王の御陵線が交差していた場所で武蔵横山駅があり、武中電車も横山町停留場を設けていました。 頭上を渡っていた高架も今は無く、近くに架けられた歩道橋が何となく当時の雰囲気を伝えているようにも思えます。 次が横山車庫前で街道右手に電車の車庫がありましたが、その後京王バスの車庫用地に転用され、さらにそれも移転して今は跡地に大きなマンションが建っています。

このマンション少し手前にある長安寺というお寺には、武中電車の軌道敷石が再利用されて参道となっています。 その証拠は、石の一辺に施されている筋彫りだそうです。 写真を見ると確かにそれらしき痕跡がありますね。 武中電車が廃止される際、軌道の敷石は無償で沿線の住民に配られたそうで、この長安寺以外にも市内あちこちで残っているのを観察する事が出来ます。 使われ方は色々ですが、お寺の参道や道路側溝の蓋などに利用されているケースが多いみたいです(LINK:はるよさんのサイト。 八王子にお住まいの方は、意外と身近に遺構が残っているかも知れませんよ。

歩道に人が多くなって来たなと思ったら西八王子駅が近くなっていました。 千人町停留場はこの駅の近傍ですが、中央線に西八王子駅が開設されたのは武中電車の八王子~横山車庫間が廃止された後の事で、両方が存在した時代は無かったわけです。 やがて左手から陣馬街道が斜めに合流して来ると追分町、いよいよここからが旧八王子市街の中心部となります。 追分町交差点は今でも八王子の交通の要衝という感じで、陣馬街道の他に甲州街道のバイパス的役目をしている北大通りが合流して来ています。 しかしこの交差点、油断をしていたら自転車用の横断帯が無く、向こう岸へと渡る歩道橋もありません。 仕方なく一旦一つ手前の信号まで戻り、横断歩道を渡って迂回させられる羽目になりました。


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追分~東八王子駅前

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26. ダイエーグルメシティの場所に「電気館」があった(※)
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秋川街道との交差点を過ぎると八幡町で、電気館前停留場はこのあたり。 道路右側にダイエーグルメシティの建っている場所にはその昔、電気館なる映画館があったそうです。 このあたりから甲州街道に沿った道路両側は八王子のアーケード街が始まります。 八幡町交差点で左手からは東京環状16号線が合流し、ワンブロック先の八日町交差点で右へと分かれて行きます。 ちょうどこの北側が本町あたりなので、旧市街地としては最も繁華なエリアだったのではないでしょうか。 路地のような野猿街道が右に分岐する角は郵便局前電停の跡で、ここでは今も八王子横山局が営業中です。

ダイエーのある「八王子駅入口西」信号の所が横山町二丁目停留場。 ここから八王子駅前へと向かう線が右へ分岐していましたが、その角は電車がカーブ出来るように設けられた隅切りが現在も残っています。 この区間は今も道路幅員が大変狭くて一方通行になっていますが、当時も電車が進んでいる間は車も抜くに抜けなかったのではないかと想像します。 突き当たりは現在駅前広場の西の外れですが、八王子駅は戦後に150m程東へと移動したので、旧駅に対してはほぼ正面あたりに武中電車は乗り入れていたようです。


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31. 東八王子駅前停留場があったのは京王八王子明神町ビルの前あたり(※)
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甲州街道を直進する線路の方は、新町停留場を経て東八王子駅前が終点となります。 京王の駅跡は日本HP社の入っている京王八王子明神町ビルですので、その前あたりに電停があったものと思われます。 東八王子は戦後の放射状道路設置のため一旦奥へ引っ込んで京王八王子駅となりましたが、地下ホーム化により再び元の位置近くまで戻り、明神町ビルのすぐ脇にも駅入口を設けています。 このあたりの甲州街道はビルの谷間で当時を偲ぶよすがもありませんが、歩道橋上から見渡す真っ直ぐな街道をかつて電車がガタゴトと発車して行ったわけです。

そして振り返るとここから先、さらに甲州街道を東進して浅川を渡り、立川、大和、所沢、果ては大宮、柏へと路線を伸ばす筈だった大電鉄構想。 それらが実現していたとすると、八王子の街の性格も今とは多少違っていたのかも知れませんね。 休日のクラブ活動なのか、友達と肩を並べて元気に走って来た女子高生が、何の変哲もない道路の写真を撮っている怪しげなおじさんを怪訝そうにチラリと見て擦れ違って行きました。 探索を終えて家路へと就く道すがら、晴れ渡った冬の空はキリっとした空気で私の体を充分に凍えさせてくれ、途中で思わずコンビニに駆け込み餡まんを頬張る事になりました。