Rail & Bikes editorial postscript  ~ 鉄路と自転車な日々@東京西郊 ~

岸 由一郎さんのこと

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このたびの岩手宮城内陸地震において、鉄道博物館学芸員でいらっしゃる岸由一郎さんが亡くなられたとの事、大変残念です。手元に岸さんのお人柄がとても良く滲み出ている写真があるのですが、肖像権に配慮してこちらをご覧いただきたいと思います。閉館を翌年に控えた2005年11月、秋葉原の交通博物館内、旧万世橋駅への入口にて撮らせていただいたものです。

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岸さんとはネット上でのお付き合いが長く、弊サイト開設当初よりしばしばメールでやりとりをさせてもらっていました。何篇か記事の執筆をお願いし、掲載させていただいたりもしております。掲示板の方へも色々と貴重な情報をお寄せいただき、最近では「でん」さんというハンドル名にて時々書き込みをして下さっていました。

実際にお会いしたのはこの時が最初で最後になってしまいました。交通博物館の閉館前に旧万世橋駅をご案内しますよ、という事で特別にお誘いをいただき、一人で出かけて行った時のものです。事務所でまずご挨拶をしましたが、そのお顔立ちや話し方共にとても柔和で穏やかな方という印象がしました。学芸員というご職業柄からでしょうか、説明がとても丁寧で誰にでも分かりやすく配慮されているのに感心しました。その後、鍵と懐中電灯を持たれた岸さんと二人で、暗い万世橋駅の階段を登って行きました。旧ホームへのドアを開け、行き交うオレンジ色の電車を眺めながら、しばしあの階段に座って歓談した事を思い出します。

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岸さんはかの「鉄道廃線跡を歩く」のシリーズでも頻繁に記事を書かれていましたね。今日は山に入ってあの物件を調べて来ましたよー等と、時々は書籍の発刊に先行して興味深いお話を聞かせてもらったりもしておりました。お忙しい業務の間を縫って、実際に自分の足で廃線跡を丹念に調べ記事にするというスタイルは、その性格から来るものだったのかも知れません。

交通博物館の閉館以降は大宮の鉄道博物館開館準備に奔走され、晴れて昨年秋にオープンの運びとなりました。開館の際にはニュース番組やあのタモリ倶楽部へも出演されていましたね。私も早く新しい職場にお邪魔してご挨拶したいと思っていましたが、それも果たせなくなってしまいました。

交通博物館を訪問した際の帰り際、記念に一枚撮らせて下さいとお願いすると、はにかみながら展示室の入口前でポーズをとって下さいました。柔らかに微笑んだその写真が、私の岸由一郎さんの思い出です。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

岸さんゆかりの方々(追記:06/19)

http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2008/06/post_803.html

http://slowjams.seesaa.net/article/100623000.html

http://bokukoui.exblog.jp/8391261/

http://ch09708.kitaguni.tv/e559071.html

http://yaplog.jp/masuminmasumin/archive/4512

http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20080615/1213538384

http://blog.livedoor.jp/kugkusk3/archives/50994919.html

http://ameblo.jp/atarashikimura/entry-10107066414.html

http://sugizaki.oline.jp/?eid=958818

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コメント(7)

Izu 返信

いつも(といってもご無沙汰してますが…)TBForumしか書き込みしてませんが、懐かしい背中に誘われてきました。
以前、府中の公園に置いてある都電の修復を岸さんと一緒にしました。
非常にクールで、尚且つ熱い方でした。
ほんとのほんとに鉄道が好きな人でした。
残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

やま 返信

初めてコメントさせていただきます。
「でん」というのは学生時代のニックネームなんですよ。
非常に仕事熱心で、一本気なところもある男でした。私は鉄道には疎いのですが、プライベートでとても親しくしてもらっていました。本当に悔しいです。

H.Kuma 返信

Izuさん、やまさん、コメントありがとうございます。
こうやってお知り合いの方々からお話を伺うと、岸さんの人となりがさらに良く分かりますね。
私も、穏やかな語り口の中にとても熱いものを感じました。

Tango 返信

岸さんには谷津遊園証言集(当時)に貴重な画像を提供して頂き、私の記憶を証明してもらいました。
その時お礼のメールに『交通博物館学芸員(当時)は趣味を職業にする場合に、最高の選択』と記した覚えがあります。
その後交通博物館の閉館から鉄道博物館の準備期間を経て開館に至るまでどこかのメディアでお見かけするのではと思っていたところ、なんとタモリ倶楽部に登場、なかなかディープな選択と感心したものです。
鉄道博物館に行けばいつかはお話ができるのではと思っていたのに、こんな形でお名前を拝見するとは・・・・・
ただただ合掌

H.Kuma 返信

Tangoさん、コメントありがとうございます。
確かに、谷津遊園証言集でも大変貴重な資料を提供していただきました。
岸さんは、昔の沿線図・名所案内図などの収集でも知られていましたね。

泥沼沈太郎 返信

岸由一郎さんの事は知れば知るほど鉄道を愛していらっしゃた方だったのですね。
「くりでん」の保存活動のお手伝いの最中の客死と言うのも最後まで鉄道の事に尽力されていたのですね。
理論だけでなく実地調査を中心に活躍されていたのが裏目に出てしまったのですね。
次世代を担い、中心となる方だったのにじつに残念です。

H.Kuma 返信

泥沼沈太郎さん、コメントありがとうございます。
ほんとうに鉄道に身をささげた形になりましたね。
今後を担う若手のホープであられただけに残念です。

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