というわけで、この取材で久々に熊谷線跡を走ってみて気がついた事を何点か。
基本的に線路跡の雰囲気は変わっていませんが、以前車道化の工事中だった区間が10年経った今でもそのまま進展が無いのには唖然としました。きっと何か問題が起きていて工事が中断したままなのでしょうね。砂利道になっている付近も周囲はまだ畑が多く、それ程雰囲気は変わりません。線路跡を利用して新しく鉄道を走らそうなんて提案(埼群軌道新線)もありましたが、その後は沈静化してしまっており、沿線でこれといった動きは無いみたいです。
というわけで、この取材で久々に熊谷線跡を走ってみて気がついた事を何点か。
基本的に線路跡の雰囲気は変わっていませんが、以前車道化の工事中だった区間が10年経った今でもそのまま進展が無いのには唖然としました。きっと何か問題が起きていて工事が中断したままなのでしょうね。砂利道になっている付近も周囲はまだ畑が多く、それ程雰囲気は変わりません。線路跡を利用して新しく鉄道を走らそうなんて提案(埼群軌道新線)もありましたが、その後は沈静化してしまっており、沿線でこれといった動きは無いみたいです。
反対に、終点の妻沼駅跡は綺麗サッパリ何もなくなってしまいました。あの緑十字の目印も、2本生えていたシュロの木も抜かれたようで、更地になっています。機関庫側の区画も同じく整地されました。キハ2000はその後、公民館の敷地内を移動されて立派な屋根が付き、その分撮影はしづらいですが保存面からは安心かな。
群馬県側ですが、利根川の橋脚は無事。その先、仙石河岸線跡の緑道は整備が進み、ポツンと立っていた小モノリスの上には人道橋が架かって車道をオーバークロスしています。終点の西小泉駅周辺はさらに外国化が進行してるような気がしました。そうそう、東武の小泉線がワンマン化されたのは事前に知らず、帰りに乗ってから気がついた次第。
以下は10年前のレポートですが、この機会にページ体裁を少しメンテし、k-wakaさんから拝借したキハ2000現役当時の写真を追加しています。
> 人呼んで妻沼線 <
しかし、文章読んでみると今回の記事と同じようなコト書いてますね。沿線が変わっていない為なのか、いやいや、10年経ってもあまり自分に進歩が無いって事か…
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