イザベラ・バードという女性をご存知だろうか。1831年、英国生まれ、病弱だったため医者に航海をすすめられ、23歳頃よりアメリカやカナダを訪問。40を過ぎてから本格的な旅行(と言うより探検に近い?)を始め、オーストラリア、日本、マレー半島、チベット、朝鮮等を巡って歩く。その生涯を旅に過ごし、1904年72歳で亡くなる。
数々の旅行記の中で、明治11年の6月から9月にかけて当時47歳の彼女が日本の東北地方から蝦夷地を主に馬や徒歩で旅して周り、記述されたのがこの本「日本奥地紀行」(原題:Unbeaten Track in Japan)だ。実は書店のフロア最奥地に昔から平積みされているのに目をつけていて、いつかは読んでやろうと考えていた本だが、ある理由によりそれを躊躇していた。
日本奥地紀行
手を出しそびれていた要因はこの厚さ。新書で500ページを超えているボリューム感は、背景のトワイライトゾーンMANUALと比べても相当なものがある。これは腰を落ち着けてかからないといけないと思いチャンスを伺っていたが、このGWに読む事にしたのだ。
船上から富士山を仰ぎ見つつ横浜に上陸すると、そこは着物を着た5フィート足らずの男達が動き回る一寸法師の世界。陸上交通としては荷車や人力車が走り回り、汽車がようやく横浜から東京まで通じた頃の時代だ。この地で旅の準備を進め、優秀だがずるがしこい面もある従者兼通訳「伊藤」を雇い、まずは人力車に乗って粕壁を経由して日光へ。そこから馬に跨り、殆ど裸同然で暮らしている農民達の極貧な、しかし子供達を大切にする生活習慣に落胆したり感心したりしつつ、自身も宿毎に襲ってくる蚤虱の大群や、「ぞっとするほどいやなもののスープ」(味噌汁)や、調教という事をしない日本人の駄馬に苦労しながら会津、新潟、山形、秋田へと道なき道を抜けて行く。
非常に面白く、かつ興味深い。作者は旅行記だと言っているが、人々の生活の記述や随所に挿入された作者自身によるイラストを見るにつけ、やはりこれは明治期の日本研究書に値するものと言えると思う。
全体は作者から故国の妹に送る手紙をベースに書かれており、第1信から第44信に渡る。原文に忠実に訳された結果だろうか、少々日本語の文章としてどうかな?という部分がある気もするが、それはかえって作者の意図を正確に伝えるのに役立っているのだろう。実は今日現在シオリが本の半分より前の方にあるのだが、これからまだ後半分を楽しめると思うとワクワクする。まだ見ぬ蝦夷地、そしてアイヌの人々との巡り合いがこの先の旅程に控えている。
参考リンク
http://d.hatena.ne.jp/v_m_n/20060513/1147491268
http://yukisayo62.exblog.jp/3042117
http://blogs.yahoo.co.jp/futoritaimon/34406012.html
痩田肥利太衛門 返信
初めてトラックバックやっていただきました。ありがとうございます。私はイザベラバードの紀行本は解説しか読んでません。著者の本を読むことにより、別の発見があることと思います。
ご指導していただければ幸いです。
H.Kuma 返信
痩田肥利太衛門さん、コメントありがとうございます。
イザベラ・バードは米沢盆地にほんとうに魅了されたようです。
そこへ至るまでの難行苦行がまた、そういう気持ちを増幅させたのかも知れませんが。
機会がありましたらぜひ本編もお読みになる事をお奨めします。
私も読了したら、次は宮本先生の解説本を読みたいと思っています。
西村鉄翁 返信
小生はこの本を「岩波文庫」で読みました。
今回の記事を読みますと、岩波版はダイジェストでした。なんだか半端な内容で、もっと知りたいとその時感じました。たしか横浜から八王子まで旅する話が載っておりました。
西村鉄翁 返信
先ほどの投稿内容は思い違いで、取り消しいたします。
シュリーマン旅行記と混同していました。
H.Kuma 返信
西村鉄翁さん、コメントありがとうございます。
機会があったらシュリーマン旅行記も読んでみたいです。
シュリーマン氏が日本を旅したのは、イザベラバードの 13年くらい前でしょうかネ。