「鉄道ジャーナル」、「旅と鉄道」等の編集長でお馴染みの、竹島紀元氏の著書。過去両誌に掲載された文章や列車追跡シリーズの記事などを集めたものだ。
「富士」「櫻」に始まる日本の特急列車変遷を綴った「列車愛称の77年」や、氏の人生に深く印象を残した列車について書いた「私の心に生きつづける愛称と列車」など、今回書き下ろしの章もいくつか読める。もう八十歳になられる竹島編集長、いまだ現役は頼もしい限りである。
「鉄道ジャーナル」、「旅と鉄道」等の編集長でお馴染みの、竹島紀元氏の著書。過去両誌に掲載された文章や列車追跡シリーズの記事などを集めたものだ。
「富士」「櫻」に始まる日本の特急列車変遷を綴った「列車愛称の77年」や、氏の人生に深く印象を残した列車について書いた「私の心に生きつづける愛称と列車」など、今回書き下ろしの章もいくつか読める。もう八十歳になられる竹島編集長、いまだ現役は頼もしい限りである。
ぼうず 返信
トラバ、ありがとうございます。
ヨン・サン・トオを散々ネタにしましたが、むしろもう少し後の方が楽しかったのかもしれません。1978年8月の時刻表をめくっていたらタマゲました。東北本線下り上野発各駅停車の最終は22:07です。その後定期・臨時含めて特急が4本、急行が11本発車するという大盤振舞。しかも懐かしい列車名ばかりです。
むむー、また引っ張るかなー(^^;
H.Kuma 返信
ぼうずさん、こんばんは。
ふぁ~、ただいま東北方面から帰還しました。
普通列車乗り継ぎは疲れるなぁ。
今は都市間の短距離ランナーばかりだから、途中駅で階段登ったり降りたりで…。
この本の中にも出て来ますが、その昔は、東京発鹿児島行きなんて超長距離のドン行列車が走ってたようですね。
まぁ急行とか特急列車がまだまだ少ない時代なんで、それが普通なんでしょうが。
竹島さんが旧制中学の頃、1940年代ですが、二晩かけて38時間半の旅だったようです。
ぼうず 返信
を、東北ですか、いいなぁ。東北方面も乗り継ぎは良くなさそうですね。東海道は大阪から何度か各駅停車で帰ってきたりしましたが、東北は白河付近までしか未経験です。
鹿児島行きのドン行ですか、凄そうだなぁ。
ヨンサントオでは山陰線経由京都発下関行きが一番長距離だったような。ちゃんと寝台車も付いてるんですよねぇ。東北は上野発一ノ関行き、なんてのがありました。う~、タマランなぁ(^^;
西村鉄翁 返信
ヨン・サン・トオは懐かしいです。私が鉄道に急傾斜するキッカケでした。あと5年早く入っていれば、と戻らぬ昔を惜しんでいます。
H.Kuma 返信
西村鉄翁さん、こんばんは。
サン・ロク・トオというのもあったみたいですね。
この時に初めて全国的な特急ネットワークが出来、キハ82系が登場したとの事。
西村鉄翁 返信
ヨンサントオの前宣伝は、各種媒体を使って賑やかでした。国鉄時代のピークだったと思います、当時新聞記事などをスクラップしましたが、所在不明になりました。
普段着で特急に乗るようになつたのもこの頃からです。