水神もりの物語、最終話となりました。「下総快速鉄道 水神森駅 ~終端駅のセクション~」の連載は今回で終了となります。製作記から含め、長い間お付き合い頂きありがとうございました。
ネットの彼と分かれた後、私は一人で少し線路跡を辿ってみようと考えた。地図で見ると少々距離がありそうだったし、また取りに戻っ
て来るのも面倒なので、ここからそのまま自転車で行く事にした。駐輪場から自転車を出して来て築堤脇から走り出そうとすると、ドラム缶の脇で、先ほど管理人室にいたビルオーナーの老人がちょうど火の始末をしているところだった。
「先ほどはどうも。」「おや、シンちゃんのお友達の方だったかな?」 ビルが建つ以前からの近所の住人という事で、老人にこの築堤について聞いてみたが、どうもあまり詳しくは知らないようだ。ただ、当時ここから線路が延びていたのは事実だそうで、貨物列車が走るのを良く見かけたし、時々はそれに混じって電車も通っていたような記憶があるという事だった。シンちゃんもこの話は聞いただろうか。
さて、老人に別れを告げて、いよいよ線路跡探索のスタートだ。ところが、上からはあんなにハッキリと見てとれたのに、地上でそれをトレースして行くのはなかなかに難しかった。「廃線趣味の人は良くやるよな。」そんな事を考えながら住宅地の合間を何とかJRとの交差地点らしき所までは到達出来たが、そこには当然ながら遺構らしきものは何一つ見あたらなかった。
水溜りでジメジメした高架下の歩道を抜け、反対側へと出ると、そこからの探索はこれまで以上に困難を極めた。走ってゆくと突然行き止まりで人家の裏庭に入り込んでしまったり、通って良いのか悪いのか迷うような工場の資材置き場を抜けたり、しまいにはもう方向感覚さえおかしくなり、頭の中が混乱して来た。そのうち、日の傾いて来た空に浮かぶ雲が、グルグルと不規則な円運動を始める。何だか空全体が暗転してゆがんで来たような心持ちだ。
巨大な送電鉄塔や工場のタンクが、上から体をかがめて私を覗き込む。遠くから聞こえて来る「ガシン、ガシン」という機械の音が、頭の奥に共振して響きだす。段々と目の前の景色が黄色いフィルターをかけたようになって、全身から冷や汗が出て来るのがわかる。やばいな、朝から飲まず食わずでずっと走り通しだったので、どうやら脱水症状になったようだ。自転車を降り、どこかに飲み物でも無いかと歩を進めるが、既に足がよろけ出して来た。思わずその場にしゃがみ込んで目をつぶり、しばらくじっと我慢する。
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「グァーン」 突然耳元で鳴り響く轟音で我に返った。いつの間にか路地裏を抜けた私は、広い殺風景な道路脇の草むらの中に佇んでいた。その道路と草地の境に敷いてある線路の上を、茶色の小さな機関車が今まさに私を横目に見ながら追い越し、走り去って行く所だ。引っ張ってきた自転車は気を失う前に無意識のうちに放り出したらしく、脇の潅木の所にあさっての方を向いて引っかかっていた。
「え?ここは!」 それはデジャヴのような光景だったが、自分自身この場所に来た経験の無い事は明らかだ。「ここにつながっていたのか...、...な?」
実際につながっていたのか、いなかったのか、その場では結論が出なかった。何しろどこをどう走ってそこへたどり着いたのか、そのあたりの意識が朦朧としているのだから。「後で彼に聞いてみるか」足元には、朽ち切った枕木のような木片が地面から少し顔を覗かせている。
道路はロープを張って一時的に封鎖されていたが、列車が通過すると同時に、それを監視していた作業員たちがヤレヤレという感じで即席踏切の後片付けを始めた。道に出来ていた何台かの車の列は、ロープが解かれると共に静かに走り去る。すぐ脇の歩道上には一人の男がいて、私と同じように機関車を興味深げに見送っていた。
列車が彼方のヤードの方へ行ってしまうのを見送り、私は自転車を押しながらトボトボと道路を渡った。ちょうど工場の横手に自動販売機があったので、そこでジュースを一本買って飲んでいると、事務所の中から帰り支度をした初老の男性が駐車場の白い車に向って歩いて来た。私は思い切ってさっきの機関車について尋ねてみた。
「アッハッハ、今日は大当たりの日だな。君で二人目だ。」その人は愉快そうに笑って、「ちょっと、こっちへ。きっと気に入る物があるよ。」と私を駐車場の奥へと手招きした。
階段を登ると、驚いた事にそこは小さなホームだった。目の前は林立するコンビナートのパイプ群、そしてその向こうで、地平線近く薄雲の下へと降りて来た夕陽が、本日最後の輝きを見せ始めたところだ。
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それから水神森の工事は順調に進み、数年後に地下線が開通すると同時に、味のある地上駅は跡形も無く消え去ってしまった。駅跡は今はまだ工事用のフェンスに囲まれて再開発の整備中だが、やがて電鉄系のショッピングビルと、一部は公園になる予定との事だ。この線を走っていた小さな電車達は、地下を走る大型の次世代車両へとバトンタッチして大半が廃車になったが、唯一あの茶色い主だけは、どこかに静態保存されるという噂である。
ネットの彼は相変わらず精力的にサイト更新に励んでいるが、昨今は地下線開通がらみのニュースで取材に追われているようで、返信は多少滞りがちだ。例の喫茶店の建物も駅と一緒に取り壊されるそうだが、跡地に建つビルにテナントとして入るらしいと、その彼からのメールで知らされた。あの貨物線と謎のホームの件については彼も初耳だそうで、今度一緒に工場へお話を伺いに行こうという事になっている。
そうそう、開業後しばらくしてピカピカの地下駅を訪問してみた私は、改装なって広く綺麗な島式のホームでキビキビと働いている駅員の彼を発見した。嬉しくなり声をかけたが、懐かしいあのベンチはもちろん失われてしまったそうで、二人にとっては少々残念な事だった。勤務中なので多少遠慮しつつホームのベンチ脇で話していると、ふいに誰かに背中をツンツンとつつかれた。振り返ると、そこには売店のボックスから出て来たおばちゃんが立っており、笑いをこらえながら「牛乳いかが?おごるわよ。」と白い瓶を差し出したのだった。
...という所で目が覚めました。どうやら床に腹ばいになって完成したセクションを眺めているうちに、又そのまま居眠りしてしまったみたいです。背中の感触に寝そべったまま振り返ると、そこには手に茶碗とシャモジを持ち、足先で私の背中をツンツンしているカミさんの姿が...。ニヤっとして、「寝てたでしょ...。ご飯。」とのお言葉。
いつの間にか日もすっかり傾いて、窓の外にはオレンジ色から青紫へと段々に変わるグラデーションの空が広がっていました。「あぁ、何てストーリーなんだ」夢とはいえなかなか琴線に触れる展開でしたが、ちょっと複雑な気分でもあるんです。だって、これを公開してしまうと、次は「地下駅のセクション」を作らねばならなくなりそうですからね。え? 作りませんよ、絶対に...、たぶん...。