15. 最終電車
最終日、電車を見送りに人々が集まったホームの上は狭い。普段あまり駅を利用しない人もいて顔を合わせる機会も少ないもんだから、みんなあちこちで立ち話の輪が出来ている。そんなホームに、最終日で特別に派遣された駅員が立哨のため出て来て、安全監視を始める。そうこうしているうち、駅前踏切の警報器が乾いた電子音を立て始め、やがて最終電車がカーブに車輪を軋ませながら電車みちの方からやって来た。いつの間にかこちら側に移動したマニアが数名、ホーム端でしきりにシャッターを切っている。
最終日、電車を見送りに人々が集まったホームの上は狭い。普段あまり駅を利用しない人もいて顔を合わせる機会も少ないもんだから、みんなあちこちで立ち話の輪が出来ている。そんなホームに、最終日で特別に派遣された駅員が立哨のため出て来て、安全監視を始める。そうこうしているうち、駅前踏切の警報器が乾いた電子音を立て始め、やがて最終電車がカーブに車輪を軋ませながら電車みちの方からやって来た。いつの間にかこちら側に移動したマニアが数名、ホーム端でしきりにシャッターを切っている。
キキーっとブレーキ音と共にホームへ滑り込むいつもの電車。停車し、ドアが開くと中は満員に近い状態だ。だがここから乗り込む人はおらず、降りた客も数名で、残りはみんな終点の青砥ヶ谷まで行くようである。深夜なのでホーム上の見送り客もあまり騒がず、写真を撮ったり静かに手を振ったりしている。特にこれと言ったセレモニーも無く、しばらくしてドアが閉まり電車はいつものように発車する。
俺は後追いで電車後部に掲げてあるお別れヘッドマークをファインダーに納め、最後の一枚のシャッターを切った。電車が赤い尾灯の余韻を残して行ってしまうと最後の時を迎えた緊張感は解け、ホームには何となく安堵の空気が流れる。俺もやれやれという達成感を覚えつつ、周囲の人々の流れに乗って改札の方へ引き揚げようとしていた。
するとホーム先頭の方から「おーい、みんな!」と呼ぶ声が。よく見ると写真館の師匠が、三脚にカメラを据えて立っている。
「師匠!ホームで三脚は御法度ですよ」
「いや、いま立てたんだよ。電車も行っちゃったし、いいだろ?」
「へ?電車を撮影したんじゃないんだ?」
「それは手持ちで撮った。みんな〜、記念写真撮るからこっちへ」
ホームに残っていた人達がわらわらと集まって来る。そこにいたマニアや駅員も師匠が招き入れ、カメラの前に仲良く並んだ。
「よーし行くゾ。シンちゃんも入って」
慌てて後列に並ぶと「ハイ!、さん、にぃ、いち」バシッとストロボが光って、一瞬目の前が真っ白に。
「もう一枚!タイマーで行くよ?」
師匠も走り込んで再びシャッターが切れた。
「よしっと、これが生涯最後の作品になりそうだな」
「何言ってんすか、まだまだ撮る機会はありますよ」
「皆さん、駅閉めますんで、そろそろご移動を〜」駅員が声をかける。
「参道駅のご利用、誠にありがとうございましたぁ」「パチパチパチ...」
集まっていた人達から周囲に遠慮した控えめな拍手が夜の駅に湧き起こった。
駅を出た後、何だか立ち去り難く駅前の参道で一人しばらく佇む。駅員氏は改札を出る客の後処理に追われていたが、それが終わり事務室へ引っ込むと駅舎の灯を落とした。俺は駅としての最後の時を見極めて満足し、下宿へと戻って行った。
ちなみに、この日に撮った電車の後追いは手持ちの為もあってかヘッドマークが若干ピンボケ気味で、後日師匠に見せに行った際は「精進しなきゃな」と笑われた。一方で、師匠の最終電車の写真は夜の撮影にしてはピントもバッチリで、その後にみんなで撮った集合写真もさすがに綺麗な構図で決まっていた。でも結局それ以降、師匠がファインダーを覗く事はなく、ほんとうに最後の作品になってしまったのは残念に思うのだ。
営業を終了した参道駅は、数ヶ月後に建物の解体が開始されると呆気なく撤去されてしまい、下宿から見える景色はガラッと変わった。だが理由は定かでないが、何故かホームの石積みだけは野ざらしになったままそこに残されている。電車の走らなくなった駅付近の線路跡からまだレールは剥がされていないが、近いうちに緑道として整備されるそうなので、下宿から自転車で出かけるには便利になるだろう。通学で地下の新駅へ向かう際も、途中まではこの緑道が経路として使えるのだ。
残されて営業を続ける大神宮~青砥ヶ谷の区間についてだが、水神森線の名称は地下新線の方へ持って行かれたので、こちらは「大神宮線」と名を変えた。車両も従来より一回り小さな連接車1500形に置き換わって運行が開始されている。そして先日見かけたアルミ車は、もう1本残された旧編成と共にラッシュの時間帯等に限定的に使われるらしい。なんでも、車重による線路負担を軽減する為の評価用として、アルミカーを試験導入したとの事である。
俺自身は参道駅の歴史をまとめてサイトに発表した後は、地下線開通がらみで色々と記事を追加したいので、その取材で忙しい日々を送っている。前に中途半端で終わってしまったネットの人との二人オフ会もリベンジしたい所だが、その際は彼の言っていた貨物線について、一緒に工場へ話を聞きに行きたいとも考えている。
そうそう、若夫婦のお土産屋の件だが、その後様子を伺いに店へ行ってみたところ、店頭にズラリと木彫りの大きな像が並んでいて驚いた。聞くとそれはチェンソーで彫った七福神だそうで、言われてみるとそう見えなくもない。若主人は材料費がタダと言っていたが、撤去された部分の線路から徐々に回収される枕木を無償で譲ってもらい再利用して作っているらしい。どうりでだいぶ枯れた様相を呈していて、店主は「そこがいいんですよ」と楽観的ではあったが、果たしてあれで名物になるのかどうか?
消防団は相変わらずで時々行われる訓練はいつも通り長閑なもの、あと数年で大家さんは分団長を引退する様だが、後釜に俺を推しているらしく戦々恐々な日々である。ちなみに駅舎跡の空いた土地は電鉄所有のまま大家さんに無期限貸与されるとの事で、また参道に面した店でも作るかと意気込んでいたっけ。何でも青砥ヶ谷に知り合いの居酒屋があって、そこの2号店を暖簾分けして貰う話が出ているそうだ。もう駅前ではないので客の入りは期待出来ないが、料理好きな大家さんの老後の道楽みたいなもんだからそれでいいのだろうな、きっと。
そんなこんなで、地域の先達が熱意を持って誘致した駅はあっさりと無くなってしまった。参道で生活を営む人々の先行きが心配だが、そもそも昨今は鉄道でお詣りする客も限定的で、神社参拝という儀式自体からして俺の周りの若い世代等には訴求力がなくなりつつある。これも時代の流れだから、寂しいけれど仕方ない面もあるのだろうと考えている昨今だ。(終り)
Suzuki 返信
訪問記楽しみに拝読しておりました
水神森や青砥ケ谷駅とも物語が繋がっていて感動しました
工作や写真も緻密でとても素晴らしいですね
ありがとうございました
H.KumaからSuzukiへの返信 返信
コメントありがとうございます。
最終回は夜景が多いので少々加工に手間取りましたが、そう言っていただけると嬉しいです。
musashimarumaru 返信
最終回楽しまさせていただきました。土産物は枕木を利用した七福神の像だったとは。ホームの石積みだけが残っているのが気になります。駅以外の建物は残っている。これも良い風景。二枚目の写真が印象的です。
H.Kumaからmusashimarumaruへの返信 返信
いつもコメントありがとうございます。
伏線は張ったものの土産物はあまり良い案が浮かばず、七福神は苦肉の策でした(笑
ホームの石積みは、青砥ヶ谷の訪問記において後でK嬢が廃線探検で発見した事になっているので、それに合わせてあります。
写真気に入っていただいたようで嬉しいです。夜景の加工もだいぶ慣れて来ました。