9. 消防団
「ねえ、大家さん」食堂でテレビを見ながら話しかける。
俺は下宿先のご主人の事を「大家さん」と呼んでいる。もちろん苗字は分かっているが、それだと妙に余所余所しいし、逆に「おじさん」だと馴れ馴れし過ぎるかな?と思っての事だ。おばさんの事は「おばさん」と呼べるのに、何か変だなとは思いつつ。
「ねえ、大家さん」「ん?何だいシンちゃん」
「駅誘致運動の頃の話を聞きたいんだけど」
「あぁ、前に言ってたっけね。でもゴメン、今日は訓練があって夜まで時間無いな」
「訓練って何の訓練?」「消防団さ」
「へっ?」「消防団!地域の消防隊だよ」
「いやそれは分かるけど、大家さん何歳だっけ」
「老いぼれって言いたいのか(笑)別に消防団って青年会が団員務めるとかの仕来りは無いんだぜ?」
そう言えば下宿の裏手が消防団の詰所だったなと、普段目にしていても意識してないから、改めてその存在を思い出す。時々大きなバッグを肩に出かける大家さんを見かけたが、あれは着替えの制服を持って詰所に向かっていたのか。暇なら見に来いと誘われ、というか話の流れからほぼ強制的に見学させられる羽目になって大家さんについて行く。
詰所の中に入ると、そこには小さな可愛い消防車が、建物ギリギリで窮屈そうに収まっていた。大家さんと一緒に、倉庫内の階段を登って2階の待機室へ。ドアを開けて驚いた。
「あれ?親方じゃないすか」「よぉ!シンちゃん」
鮨屋の親方も消防団員だったとは驚いた。そしてもう一人、後から入って来た人物は俺を見るなり、
「おや、青年!」
なんと、薬局のご主人まで団員だったのだ。しかし失礼だがこんな年配者ばかりの消防団、大丈夫なのだろうか?他の人達も何人か集まってしばらく談笑していたが、そのうち大家さんの「おい、やるぞ!」の掛け声で皆が立ち上がる。
階下へ降りて「ガラガラ」と表のシャッターを開け、赤い消防車を目の前の道路へ。そこで訓練が始まるのかと思ったが、これから書店裏の駐車場へ移動するという。さすがにここの路地は狭すぎるし信号の目の前だから、交通の邪魔になって訓練は出来ないのだろう。何人かは消防車に添乗し、大家さん含む他の何人かは徒歩で駐車場へと移動、俺も後からついていった。書店は本日定休日で、オーナーのご厚意で駐車場を借りているとの事。建物は有形文化財にもなっている位だから、近くに消火栓も備わっている。
お客さんのいないひっそりとした駐車場に一同が揃うと、分団長である大家さんの号令の下で訓練が始まる。この日は屋根上に向かって実際に放水も行なわれたが、「おい、そこ当てないように気を付けろよ」分団長の指差す方を良く見ると、軒下に燕の巣があるのに気が付いた。書店のオーナーが書いたのか、その下には「頭上注意」の掲示が貼ってある。
「ふーん、なかなかオーナーさんらしいな、これは...」
そう言えば、燕が家に巣を作ると縁起が良いという言い伝えを聞いた事がある。それは、燕は害虫を食べてくれる益鳥だからというのと、人の出入りが多い建物に巣を作る傾向があるので、巣がかかった商家は繁盛しているというステータス的な意味もあって歓迎されるんだそうな。その後、年寄りばかりの大変ゆるりとした訓練は3~4時間ほど続いて、この日は終了とあいなった。
10. 反省会
一通りの消防訓練が終わると、夕刻から場所を改めて反省会が行なわれた。もちろんそれは、反省会の名を借りた飲み会である事に他ならない。会場は親方の店、幸鮨2階の小宴会場だ。俺も誘われて参加したが、そこで俺から大家さんに切り出したのをきっかけに、思いがけず駅誘致運動の話で盛り上がり、集まっていた人達から色々と情報を得ることが出来たのは幸運だった。それは皆、親の代からの伝承であるのだが、人づてでなく直接聞いているので、話として大きな間違いは無さそうである。
そこで分かった事で話を整理すると、
- 当初、東葛軌道の線路敷設案では、大鳥居と古蔵を移設してそこに線路を通す事になっていた
- また駅は大神宮の至近に設け(現大神宮駅)、参道近くには駅を置かない計画であった
- 参道の人達は反対し、鳥居は動かさずにその直前を線路が通れるよう経路変更を要求
- 要求により経路は変更(一部道路を付替え)されたが、結局駅は作られないまま路線は開通した
- その結果、参拝客が参道を素通りするようになり、商店会の人達は再び駅設置を要望
- 繰り返し折衝の末ようやく軌道側も折れ、土地を提供するならとの条件付きで駅設置を了承
- 駅用地は参道の土産物屋が敷地の一部を提供する形で軌道側と合意し、開通数年後に駅が完成
といった経緯だそうだ。
大鳥居は参道の人達にとっては古くからそこにあるシンボル的な存在だったので、それに手を付ける事には大反対だったのだろう。開通から何年か経ってしまったが、それで目出たく最寄りの駅も出来る事になった。土地を提供した土産物屋というのが大家さんの先代の事で、やっていた商売もこれで明らかになった。そして駅舎と引き換えに撤去された土産物屋は、鳥居脇にある蔵造りの古い建物を譲り受けて改造し、そちらへ移転した。その後、先代が亡くなって古蔵の土産物屋はしばらく休業していたが、移住して来た若い夫婦が少し前に店を引き継いで、店内をカフェ併業に改装したそうだ。
話がひと段落した頃、年配者に遠慮してか、ずっと黙って聞き役だった若い団員の一人(と言っても40代以上だろうが)が口を開いた。
「実はうちの土地についても、親から聞いた事あるんだけど...」
隣りにいた親方が教えてくれたところによると、彼は線路脇でクリーニング加盟店を営んでいる民家の住人だそうで、高齢となった父親の後を継いで消防団で活動しているという。
「うちの家、元々の計画で線路を通す予定地として電鉄が確保していた場所らしいです」
「それを後から買い取って、そこに家を建てたそうです。家自体はその後に改築してますけどね」
そう言えばあそこはやけに細長い敷地だし、その先は線路脇に続く細い道路になっているしで、線路予定地としては話に合致していてナルホドと納得させられた。建物がここだけ線路にかなり近づいてるのも、元々の予定地だったからなのかも知れないな。
そんなこんなで一頻り盛り上がって夜が更けて、この日は散会となった。あ、それと、この日をもって俺も消防団の新入団員になった... というか、いつの間にかメンバーとして仮入団扱いになっていたというのは、分団長である大家さんから後日知らされた事である。えっ?本人の同意は?ルールってどうなっちゃってんの?まぁいいけど(笑)
(続く)
musashimarumaru 返信
消防車が外に出ていますね。燕の巣もあったのですね。クリーニング店の横を通るギリギリ感がすごいです。
H.Kumaからmusashimarumaruへの返信 返信
コメントありがとうございます。消防車はお遊び的に作ったのですが、せっかくなのでと考え、訪問記に登場させてみました。その結果、ストーリー上で駅誘致運動の情報を得るきっかけになったので、役に立って良かったと思います。