1. 小さな駅
「じゃぁ、行ってきまーす」「あら、これから?行ってらっしゃい」
玄関先で大家の奥さんに声をかけ、慌てて下宿を出る。今日は大事な用事があるのに、ついついネットで調べ物をしていて出かけるのが遅くなってしまった。門を出て駆け出す間もなく、駅にはすぐに到着だ。なんたって超駅近の物件を探し出したんだから、自分を褒めてやりたい。実は実家もこの沿線にあるんだけど、進学を機に家を出て下宿暮らしを続けている。別に実家からも通えない事はないけど、一人暮らしがしてみたかったというのが理由だ。それで学生向けのワンルームマンションなども探したのだが、結局資金面で下宿に落ち着いたというわけなのだ。
自動改札を通ってホームへと向かう。小さな駅だから普段は駅員がいないし、エレベーターやエスカレーターもなく、バリアフリー対応としては階段に車いす用簡易リフトが設けられている位だ。ホームは奥行きがなく狭いが、いつも乗降客はそんなに多くないので、特に不都合は感じない。電車は行ってしまったばかりのようで、人影も少なくガランとしていた。
この路線、元々は東葛軌道という鉄道会社が開業したもので、その後下総快速鉄道(しもてつ)に吸収されて水神森線として運行されている。そもそも東葛軌道として敷設された目的は、大神宮への参拝客輸送だったんだが、大神宮のさらに少し先にしもてつの路線が都心へ向かって延びてきたために、そこと接続を果たしてJRとの間を連絡する支線となったものだ。
しばらく待つと警報器が鳴り出し、やがて踏切の向こうからカーブを回って電車がやって来た。小さな車体の2両編成はいつ見ても軽快で、湘南顔っぽいデザインも好ましい。ドアが開き乗り込む。この時間、車内は空いていて乗客は数える程度。ロングシートも余裕で空席だが、俺はもちろん被り付きを行なうために運転席後ろに立つ。すぐに発車、だがホームを少し出た所で一旦停止。この先は短い併用軌道の路面区間となっていて、交差点へ進入する為に道路信号があるのだ。
車用の信号が赤に変わると黄色い矢印が点灯し、電車はゴロゴロと急カーブを回って道路中央に躍り出る。それはいつもの見慣れた光景だけれど、いつ見ても飽きないちょっとしたパレードだ。だが「電車みち」と呼ばれるこの道路は幅員が非常に狭く、その片側車線をほぼ線路が塞いでしまっている。その為、同方向に走る時はいいが、電車と自動車が鉢合わせしてしまうと面倒な事になる。その辺は地元の車は良く心得ており、手前で待ったり反対車線へ退避したりしてスムーズな通行の維持出来ているのは幸いだ。
短い併用区間は少し走るとすぐに終わり、電車は再び専用軌道に入って次の駅へと向かってスピードを上げる。次は終点、水神森である。
2. 鮨屋
「あーぁ、今日は残念だったな。」小声でそう呟きつつ、今降りた電車をホームで見送る。これはいつものお約束、というか、やらないと気が済まない儀式みたいになっている。青砥ヶ谷行きの電車は赤いテールライトを光らせながら、既に日が暮れて夕焼けの残照を映す空の下、カーブに車体を傾けつつ走り去って行った。
残念と言ったのは、今日はネットで知りあった人との二人オフ会で東葛軌道や貨物線の痕跡を辿る予定だったのだが、途中でバイト先から呼び出しが入り、中断になってしまったからだ。「まったくあの店長と来たら、人使いが荒いんだから...」改札を出て路地へ向かい、下宿へ帰ろうとした所で思い出した。「そうか、今日はオフ会の彼と食べて来るつもりだったから、夕飯いらないって言っといたんだっけ」さてどうするか、臨時でシフトに入ったりして今月はバイト代が少し増えそうだから、たまにはご馳走でも食べようと考えた。
踵を返して参道に戻ると、目に飛び込んで来るのは道路向かい側の日本料理屋の門。が、ここは割烹で俺には分不相応、ちょっと高級過ぎるし今日はまだ「準備中」の札がかかっている。それで踏切を渡り、鳥居を潜って参道を進んだ。やって来たのは鳥居のすぐ先にあるいつもの鮨屋。下宿人の身分で鮨屋通いとは生意気に思われそうだが、そう頻繁に来ているわけではない。それに、ここの親方も実は鉄道ファンで、何かと気が合うのだ。
親方の握る寿司を食いながら、今日の顛末の話をした。東葛貨物線についてネットで興味を持ってくれた人とオフ会をしたこと。その時に、水神森駅周辺にある貨物線の跡を二人で見て歩いたこと。その途中でバイト先からの電話が入って中断となり、貨物線の廃線跡の方は辿れなかったこと、などだ。親方は年齢的に貨物線の生きていた頃を知っているから色々と情報源となってくれていて、それは今回のオフ会でも大変役に立った。
「でね親方、その人どうも俺のこと会社員か何かと思ってるみたいなんだよ」
「そりゃシンちゃん、年の割に私服が地味過ぎるからね(笑)」
「えー、そうかなぁ」
「そうだ、昔の東葛軌道に興味あるなら、シンちゃんにいいもの見せてあげるよ」
親方は手を拭きつつ一度奥へ引っ込むと、しばらくして黄ばんだ一枚の写真を持って来てくれた。
「これは... そこの小学校を空撮した写真ですね。校庭に人文字で学校名が描いてある」
「うちに昔からある写真なんだけど、近くを走っている線路に注目してごらん」
「ああ、ボンヤリだけど、これが今の水神森線の線路か。あれ?駅が無いみたいですね、何でだろ?」
「面白いでしょ?開通当初はここの駅は無かったらしいね」
「へぇーそれは知らなかった」
他の客がいないのをいい事に、その後も親方とカウンター越しに話し込んでしまい、すっかり遅くなった。大家さんが心配するといけないので、そろそろ下宿に帰らないと。でもこの駅が出来た経緯を調べたら、サイトにちょっと面白い記事が書けそうだな。(続く)
渋谷明宏 返信
御無沙汰しております。
いつも楽しみにチェックさせていただいております。
特に今回は「Nゲージでここまでやるか!!」と思うほど素晴らしく細密で感激だったのでコメントさせていただきました。 小生もHOを細々と続けていますが、もう視力が追いつきません。 更新頻度が以前より長くなっているようですが、無理をなさらず続けて楽しませて下さい。 渋谷
musashimarumaru 返信
はじまりましたね。訪問記。開通当時はこの駅がなかったのですね。どういう経緯でこの駅ができたのか?この先が楽しみです。
H.Kumaから渋谷明宏への返信 返信
渋谷さん、ご無沙汰しております。
10年ぶり位ですよね?お元気そうで何よりです。
工作について、今回はちょっとやり過ぎの感もありますが、視力が大丈夫なうちにやりたい事はやっておこうの精神で取り組んでおります。といいつつ、当方も既にヘッドルーペは欠くべからざる存在になってますが(笑)更新も無理のない範囲でしていますので、引き続きご来訪いただければ嬉しいです。
H.Kumaからmusashimarumaruへの返信 返信
musashimarumaruさん、いつもコメント感謝です。
参道駅の生い立ちについては、以前どこかのストーリーで若干触れたような気もしますが、今回その辺を中心に掘り下げて行きたいと思います。期待して(期待せずww)お待ちください。