5. 下宿屋
ガラガラっと玄関のガラス戸を開け「ただいまー」と声をかける。
「お帰りぃ。お風呂沸いてるからどーぞ」
居室の方から顔を覗かせるおばさん。
「うん、風呂入った後ちょっと話いい?」
「あらまぁ、恋愛相談かな?笑」
「いや、違うって」
風呂から上がると下宿生達の食堂代わりとなっているリビングへ、と言っても隣室の学生は短期留学中で不在だから、ここんとこは実質俺と大家さん夫婦の家族世帯みたいになっている。キッチンで料理をしていたおばさんは、俺に気づくと火を止めてテーブルへやって来た。
「それで?話って」
「うん、今日あそこの本屋さんのオーナーに話を聞いて来たんだけど」
「あら珍しい。平戸書店の奥さん?何でまた急に?」
事の成り行きを一通り話し、ここの先代が駅の誘致に一役買ったという件について問うと、
「ああ、そうらしいわね。お義父さんが生前に取りまとめたって話、聞いた事ある」
「でね、その際に駅の用地も提供したらしいじゃないですか」
「そうなのよ。だからうちの庭、変に狭いでしょ?駅の建物や公衆トイレのある場所まで、元々ここの土地だったみたいね」
確かにここの家の庭は申し訳程度の広さで、しかも駅のホーム裏に接しているので三角形をした変則な形状になっている。そのコーナーを利用して大家さんが花壇を作っていて、多少は殺風景な景色を和らげているが、陽当たりもあまり良くないので今一つパッとしない。おまけに塀の隣りは公衆便所だ。近頃改修されて近代的な設備の多目的トイレに生まれ変わったので、だいぶ綺麗にはなったが。
「というと、そこの路地も?」
「そうね。家入れなくなっちゃうから、道にしたんじゃないかな」
「ということは、大家さんの土地って以前は参道に面していたんですか?」
「昔は母屋があっちにあって、先代は参道で商売をしてたそうよ」
「へええ、何のお店だったんですか?」
「えぇっと何だったかしら。前に教えてもらったような気もするけど...。今度うちのがいる時にでも直接聞いてみれば?」
「うん、そうします」
大家さんのご主人は定年後も嘱託か何かで働きに出ており、夜も遅い事が多いのでなかなか顔を合わす機会が無いのである。おばさんの話をひとしきり聞いた後、いつものように二人で晩ご飯をいただき、ついでにお団子も二人で平らげ、ごちそうさまをして部屋へ戻る。門前最中は2個を自分用に持ち帰り、残りは大家さん夫婦にと食堂へ置いて来た。
6. 例大祭
年に一度の大神宮例大祭の時期となった。この祭りは神事と神賑に分かれていて、「神事」は神様に対して、「神賑」は氏子や参拝客に対して行なわれる行事だそうな。地元でも神賑の催しの一端として、露店が出たり商店会ではセールなどが行われる。普段は閑散としている参道も、この時期と年末年始は大賑わいなのである。今日は例大祭の神事が本殿で特別公開されるという事で、特に予定も無いので久し振りに大神宮にでもお参りしてみようと思い立った。
それで駅に向かおうと下宿を出ると、かねてより工事中だった和菓子店の一角のシートが取り払われ、そこに出来た新たな売場の光景がいきなり目に飛び込んで来た。そこは何とソフトクリーム売場で、その前の小広場にはお誂え向きのベンチまで用意されている。窓口の中でおやじさんが準備をしているので声をかけてみた。和菓子店でソフトクリームとは何か場違いと思ったが、系列の他店舗でも案外やっている所があるそうだ。
「シンちゃん、ちょっと味見してみてよ」
今日この後から営業開始との事で、実験台として試食のお役目を仰せつかり、おやじさんがまだぎこちない手つきで作ったソフトクリームをご馳走になる。
「そこで写真撮ると映えるんじゃない?」
なるほど、そういう意図もあって小洒落た白いベンチを置いたのか、おやじさんなかなか策士だな。でも背景が自転車置場とかだからもう一工夫しないと(笑)
「ご馳走様!濃厚で美味しかったよ」「そう?シンちゃんの太鼓判で自信付いちゃったな、ハハハ」
のっけから思わぬ寄り道をしてしまったが、まずは電車で参道駅からお隣の大神宮駅へと向かう。下宿から大神宮は歩いても遠くない距離なのだが、この区間の電車を使う機会が滅多にないので久し振りに乗ってみたくなったのだ。改札を抜ける時、普段は無人の駅務室に電気が点いているのに気づいた。多客時は年配者が多くなり、切符購入などの際にトラブルも増えるので駅員を配置して対応にあたらせる為だ。ホームも混んでいるかと思ったが、まだお昼前の時間帯という事もあり、然程ではなかった。
しばらく待ってやって来た電車に驚いた。ちょっと見はいつもの電車と似ているが、車体の側面がシルバーになっており、ステンレス製のボディのようだ。そう言えば運転席の窓も若干デザインが異なり、自分好みのパノラミックウィンドウとなっている。
「こんな新形式いつ入ったんだ?俺とした事が、把握してなかったなんて情けないな」
後で調べてみると、その車両は関西の私鉄から最近譲渡されたもののようで、車体主要部はステンレスではなくアルミ製という事だった。水神森線は近く地下の新線に切り替えられる予定で、その際にこの地上区間は短縮、電車もLRTまでは行かないが若干小型化される予定と発表されている。なので、一見すると現状サイズのこの電車の必要性は無さそうなんだが、なぜこのタイミングで入れたのかは分からなかった。
疑問を感じつつ乗り込んで席に着く。外観は異なるが車内は従来の電車とあまり変わらない。滑らかに走り出すと駅前の踏切を越え、右手には大鳥居脇に店を構える蔵造りの土産物店が。今まで気づかなかったが、その裏庭には小さなテーブルがあり、テラス席のようになっている。そこには年配の客が一人、こちらを眺めながら寛いでいるのが車窓からチラリと見えた。ここは、古民家カフェとしても営業しているようだ。
「電車を眺めながらお茶が飲めるのか。これはぜひ行ってみないとだな」
そんな思いを乗せ、新型車は大神宮駅へと向かって軽やかにモーター音を響かせて走り抜けた。(続く)
musashimarumaru 返信
やはりネタばれ通りのソフトクリームでしたか。もしかすると「ペコちゃん焼き」の可能性もありと思ったり(笑)。古民家カフェも楽しみです。
H.Kumaからmusashimarumaruへの返信 返信
ペコちゃん焼きですか、懐かしい。よく覚えてましたね(笑
カフェのテラス席は、江ノ電に確かそのようなお店があったので、ヒントにしてます。