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特集[57] (2009/08/07号) by. やんぴー 編集 

久留里線

もともと千葉県営鉄道久留里線として建設され、後に鉄道省に譲渡された路線で、木更津〜上総亀山を結び木原線(現いすみ鉄道)と接続して房総半島を横断する計画でしたが延伸されず、盲腸線のまま今に至っています。
田園地帯から山間部に入ると小櫃川に沿って走るのどかなローカル線で、戦後気動車が実用化されてからは個性的なキハが走り続けています。


特集[56] (2006/08/11号) by. KSMaster 編集 

たくさんの国鉄色

 昔はどんな列車にも国鉄色が一般的でした。そんな国鉄色の車輌も姿を消しつつあります。それらは、廃車、改造などをされています。
過去に活躍した、現在も何らかの形で、活躍している国鉄色の車輌にはどのようなものがあるのでしょう。


特集[55] (2006/08/07号) by. Mistral 編集 

日本と世界のLRT〜Light Rail Transit All over the World〜

 2006年4月29日、日本で初となる本格的LRTとして富山ライトレールが開業した。今日本でもLRTへの注目が最高に高まっている。
 日本の路面電車は、戦後急激なモータリゼーションの波に飲み込まれ、多くの都市で姿を消した。モータリゼーションを生き抜いた約20の路面電車は限られた予算の中で知恵を絞り、近代化を進め、21世紀初頭の今日まで生き残った。この貴重な遺産である路面電車を活かすべく、新世代にふさわしい都市交通機関、LRTとして再生させる試みが10年ほど前から始まっており、富山ライトレールはその努力が結実した物と言える。LRTは世界中の都市でどんどん導入されており、日本の都市交通もようやく世界のレベルに並んだと言える。

 LRTと言う言葉は、1978年にカナダのエドモントンの近郊電車につけられた呼称である。その後、TramwayやStreetcarという名称の古くささを嫌った英米の都市交通機関が、次世代の路面電車をLRTと呼ぶようになった。

 LRTの技術的な発展は、戦後路面電車を残した西ドイツにおける路面電車近代化から始まった。連接車による大容量化・専用軌道化・トランジットモール・一部地下化などLRTで採用されている技法は全てドイツで採用された。1970年代後半以降、路面電車が無惨にも衰退していたアメリカでもLRTがどんどん導入され、ポートランドなどLRT導入で大成功した都市なども現れたのである。

 フランスはアメリカ以上に路面電車衰退が激しく、わずかに3都市に細々と路線が残るのみであった。1985年にナントで復活して以降、世界のどの国よりも早いペースでLRTを導入して行き、2006年夏には16都市にまで増加した。フランスは単にLRTを導入していったのではなく、どんどん新技術を開発し、世界のLRTの牽引役にまでなった。

 日本でも、LRTの国産化技術の模索が始まり、アルナのリトルダンサー、近車・三菱のJtramがデビューした。フランスよりゴムタイヤLRTが輸入されて実験されている。架線なしLRTを目指して、バッテリーLRTも開発が進んでおり、日本においてもLRT技術開発の芽が出てきた。

 世界を見渡せば、多種多様なLRTが存在する。ドイツでよく使われるのは、LRTを部分地下にして疑似地下鉄とした電車が多く走っている。カールスルーエから始まった鉄道線乗り入れLRTは、世界中から着目された。また、フランスではゴムタイヤ式のLRTが開発され、丘陵地などに適した乗り物として注目が集まっている。

 多種多様にバリエーションに富む日本と世界のLRTを、一同に集めてみました。


特集[53] (2005/08/31号) by. Mistral 編集 

ラインゴルト Rheingold

 ラインゴルト(ライン川の黄金、Rheingold)号はオランダからライン川沿いにドイツ国内を経て、スイスまで走るヨーロッパを代表する国際特急列車である。オランダからドイツ、スイスを結ぶ役割の他に、イギリスのポーツマスからの連絡船に接続するという役割もあった。運転区間の基本はアムステルダム−バーゼル間で、オランダ側では一部車両がライン河口の港町フォーク・ファン・ホラント始発で運転されていた。スイス側では季節や時期によって、ジュネーブ、クール、イタリアのミラノまで直通していた。また、姉妹列車としてラインルール地方とミュンヘンを結ぶRheinpfeil号があったが、後にこの列車が廃止になるとRheingoldの付属編成がミュンヘンまで直通するようになった。

 愛称のラインゴルトとは、ワグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」の序夜(第一章)「Das Rheingold」にちなむ。ライン川の底に沈む黄金、ラインゴルトで指輪を作ると世界の富と権力を独占できるというという伝説がある。オペラでは、ラインゴルトで作ったニーベルングの指輪を巡って、北欧の神々、巨人族やワルキューレ、人間の英雄ジークフリートたちが壮大な争奪戦を繰り広げる。特急ラインゴルトの沿線はニーベルングの指輪の伝説の他に、妖精が美しい歌声で船人を惑わしラインの川底に沈めた伝説のあるローレライ、ライン川沿いに点在する古城たちなど非常に風光明媚な景観が広がり、観光客にも人気のある列車であった。

 ドイツ国鉄では、このラインゴルト号を看板列車と位置づけ、常に一番特別な車両を導入してきた。戦前は、フレッシュドールやエトワールデュノールとならぶ国際特急列車として知られていた。戦後は、TEEを代表する列車としてヨーロッパ鉄道界の頂点を極めた。戦後のラインゴルトにとって、特別列車としてスタートを切ったのは空調設備を備えた最新型客車が登場した1962年である。ラインゴルト専用として製造された客車は、その後のドイツTEE客車のスタンダードとなった。ラインゴルト専用車としては、一部2階建てのドーム室付きの展望車、厨房部分2階建ての食堂車である。1962年の段階ではまだラインゴルトはTEEになっておらず、コバルトブルーとベージュの専用塗装をまとっていた。1965年にラインゴルトはTEEの仲間入りを果たし、赤とベージュのTEE塗装となった。牽引機関車は、当初は汎用旅客機E10のギア比を高速仕様にしたE10.12(後の112形、現113形)であり、62年段階ではコバルトブルーのラインゴルト塗装、65年以降はTEE塗装となっている。1971年からは卵形の高速機103の牽引となって全盛期を迎えた。

 1977年に200km/h対応不可能であったために象徴であったドームカーが廃止され、ラインゴルトも他のTEEとあまり変わらない姿となった。このころから全車一等のラインゴルトはだんだん時代にあわなくなり、かげりが見え始める。1983年からは観光の目玉列車とするべくリニューアルが行われ、ピアノを設置したクラブ・ラインゴルトという車両が連結された。結局1987年夏をもってラインゴルトは廃止され、その栄光ある歴史の幕を閉じた。


 ここでは主に戦後のラインゴルトに使われた車両を集めてみました。編成セットでは、ドイツの機関車が牽引しています。電気機関車はNS1100やSBBのRe4/4も用意してありますので、オランダ国内やスイス国内の姿も再現できます。また、客車の編成は時期や季節によって大きく変わるので、各自の好みでアレンジしてください。


特集[51] (2005/03/29号) by. Mistral 編集 

赤き魂へのレクイエム

 2005年春、長年運行されてきた名鉄岐阜市内線・美濃町線・揖斐線が廃止される。すでに路面電車衰退の時代は過ぎ去り、国レベルでも路面電車を復権させ、21世紀の都市交通手段としてLRTを盛り上げていこうとしていた矢先の出来事であった。岐阜の路面電車の赤字額は大きく、民間企業の独立採算では存廃がおぼつかない状況であった。また、行政当局が路面電車に極めて冷淡であり、停留所に安全島すら設置できなかった。

 路面電車を運行する名鉄は手をこまねいていた訳ではなかった。鉄軌道事業者にできる最大限の努力として、ダイヤと車両の改善を矢継ぎ早に進めていったのである。特に、車両面では複電圧車の導入、高性能連接車の導入、国産初のノンステップ車の導入など当時の日本の路面電車の中でも最新鋭の技術を持った電車を投入して行った。赤字続きで行政の対応も冷たい岐阜市内線へ、路面電車の公共性を信じて最新技術を導入し続けた名鉄の努力は他に代え難い。

 2005年春、万策尽きて岐阜の路面電車の歴史は幕を閉じる。しかし、僕たちはここまで苦難な状況の中で闘い続けた赤い電車たちのことを忘れない。ここでトレインバナーとして彼らの面影を後生に伝えたい。



 岐阜で活躍した電車たちは、その性能の良さを買われて福井や豊橋に移籍してゆく。彼らが岐阜で果たせなかった、公共交通を通じた都市の再生という夢。新天地で彼らがその夢を実現することを祈りたい。


特集[50] (2005/02/27号) by. Mistral 編集 

京阪6000系&7000系

 京阪6000系は、1500V昇圧に備えて1983年に登場した通勤車で、8連14本112両と京阪電鉄で最大勢力を誇る車両です。製造が長期にわたり、いくつかのバリエーションが存在するために、編成ごとの個性も強くなっています。7000系は鴨東線開業時に登場したVVVF車で、6000系の後継車両です。制御装置の関係で、6000系と7000系で車両交換も行われているために、この2系列での編成バリエーションは多岐にわたります。ここではそんな京阪6000系、7000系の編成バリエーションを集めてみました。
 6000系は大きく分けて、前期形、後期型、7000系タイプの3種類に分かれます。6000系は後期型でクーラーの形状とM車の台車が変更されました。さらに、7000系では前面形状と側窓の形状が変更されました(7000系以降の車両では、窓の凹みが少なくなり、窓枠も細い)。7000系登場以後に登場した6000系増結車などは7000系タイプの車体です。6000系8連14本の陣容は以下のようになります。

●6001F〜6003F(前期形):全車が6000系タイプの車体を持つグループ。ただし、5号車は後期型車体。1F、2Fの6号車はM用台車を装備。
●6004F〜6011F(前期形):このグループは7000系登場以後に8連化したために、5号車は7000系車体になっている。
●6012F、6013F(後期型):後期型グループとして登場した。6号車は7000系車体。
●6014F:登場時は京都寄りの3両はVVVF試験車。後にVVVF試験車は7000系に編入されて、7000系車体の新造車に差し替えられた。現在では、1、2、3、6号車が7000系車体。
●7001F〜7003F:7000系のみの7連。なお、登場時は6連または4連でした。
●7004F:6014VVVF試作車3両と7000系新造車の混成。

※バリエーション
 6000系の第1〜第5編成は昇圧半年前の1983年春に4連で暫定デビューしました。1,2,7,8号車のみのオールM編成です。6012編成は、登場時4連で、後に7連化。登場時の組成は1,4,5,8号車です。1983年の昇圧時、6000系は全車7連で、前期形編成の5号車を抜き取れば再現できます。

注)京阪では、京都を先頭に左側を川側、右側を山側と呼びます。


特集[48] (2005/01/14号) by. Mistral 編集 

TRANS EUROPE EXPRESS 麗しのヨーロッパ横断特急

 TEE(Trans Europe Express)は戦後の西ヨーロッパ鉄道界で技術の粋を尽くして作られた豪華国際特急である。戦後台頭する飛行機に対して、1954年にオランダ国鉄総裁の提案によって、TEE(ヨーロッパ横断特急)の運行が決定した。TEEは日帰りが可能なダイヤで、運行する車両はクリームと赤の専用塗装、全車冷房装備の1等車、座席は1-2人掛、乗客全員が供食サービスを受けられることが条件であった。車両に関しては、細かい規定が無かったために、各国国鉄は技術とデザインの粋を尽くしてTEE車両を送り出した。1950年代後半から1970年代に至る期間、華麗なる豪華特急たちがヨーロッパを駆け回ったのである。

 TEE車両は、当初は国境での機関車交換を省くためにディーゼルカーを採用した。その後電化の進展に伴い、電気機関車+客車の編成に切り替わった。また、スイスやイタリアでは電車方式のTEEも作られた。戦後ヨーロッパ諸国が粋を尽くしたTEEの名車たちは日本にも多大なる影響を与えた。昭和30年代の国鉄や私鉄の特急電車は、この時代のTEEやその他の電車・気動車の影響を受けたものが多い。50年代から60年代前半はディーゼル動車が主役であった。この時代のディーゼルカーは、床下分散型エンジンが未発達であったために、両端または片方の先頭車に大型エンジンを搭載するスタイルが多かった。
 1964年の日本の新幹線開業はTEEにも多大な影響を与えた。60年代後半になって、TEEは電気機関車牽引による200km/h運転を開始したのである。TEEといえば誰もが思い浮かべるドイツの卵形電気機関車103形、フランスのゲンコツ形電気機関車CC6500形などのスーパースター電気機関車が登場し、TEEも高速運転時代に入ったのである。ミストラルやラインゴルドなどの列車が黄金時代を迎えたのはまさにこの時期である。この世代の客車は高速運転に対応しながらも豪華さを追求し、食堂車の他、豪華なバーやラウンジ、中には美容室まで持つ列車まで現れた。1970年代いっぱいまでTEEの黄金時代が続いた。

 しかし80年代に入ると、豪華一点張りのTEEは時代に合わなくなっていった。航空機の運賃が下がって大衆化すると、鉄道でも2等車連結が普通となり、全車1等のTEEは利用しにくい存在となっていった。TEEは2等車をつないで大衆化して生き残ろうとした列車(ミストラルなど)と、さらに豪華にして観光客向けのクルーズ列車化となった列車(ラインゴルドなど)の2つに別れた。
 1981年フランスで初めての新幹線TGVが開業するとヨーロッパの鉄道も高速鉄道時代に入り、完全にTEEの時代は終わりを告げた。1982年にミストラルがTGVに置き換えられて廃止された。1987年にはドイツの名門ラインゴルドが廃止、90年代前半には最後のTEEが廃止となり、TEEはその歴史の幕を閉じた。

 ここでは、ヨーロッパの鉄道黄金時代を作り、戦後の日本の鉄道関係者にとって憧れの的であったTEEの車両たちを集めてみた。


注)TEEは直訳すれば「ヨーロッパ横断急行」であるが、全車1等でその国の威信をかけた豪華列車はまさに「特別急行」そのもの。なので、ここでは「ヨーロッパ横断特急」としている。


特集[47] (2007/03/04号) by. 阿武止 編集 

英国 Virgin Trains

ヴァージン・トレインズ
この鉄道会社は英国最大の鉄道会社で、運行区域は北アイルランドを除く全国である。しかしVirgin Trainsは大きく分けてWest Coast(ウェストコースト)、Cross Country(クロスカントリー)となる。 West CoastはロンドンのEuston(ユーストン)からイングランド西部を通る高速列車。主な行先はBirmingham(バーミンガム)、Manchester(マンチェスター)、Liverpool(リヴァプール)、ウェールズ北西のHolyhead(ホーリーヘッド)、スコットランド最大の都市Glasgow(グラスゴー)。イングランド北西部方面への最も主要な足である。この区間には客車列車が運行されていたが2005年までに撤退。現在のWest Coastの主役は390系電車Pendolino(ペンドリーノ)で最高時速約225km/h。
一方Cross Countryはロンドンを通らない長距離高速列車。主要ルートはEdinburgh(エディンバラ)―Newcastle(ニューカッスル)―York(ヨーク)―Birmingham(バーミンガム)―Bristol(ブリストル)だが、西海岸を通ってBirmingham方面へ至る列車もある他、イングランド南西部Plymouth(プリマス)、Penzance(ペンザンス)まで行く列車など、多彩なルートが存在する。主役車両は220系、221系気動車Voyager(ヴォイジャー)。かつてHST(詳細は特集43号↓を参照)が存在したが2003年に現行車両による置換えが完了した。但し夏などに時々Midland Mainlineからのリース車両が走る場合がある。
双方に存在する新型車両ではラジオ放送が楽しめるなど、多彩なサービスが用意されている他、振子の採用によりスピードアップが図られている。


特集[46] (2005/01/06号) by. KJN@阿武止 編集 

英国 Midland Mainline

ミッドランド・メインライン
London St.Pancras(ロンドン・セントパンクラス)からLeicester(レスター)を通りDerby(ダービー)、Nottingham(ノッティンガム)、Sheffield(シェフィールド)といったイングランド中部(Midland)へ至る鉄道会社。朝はSheffieldの北Leeds(リーズ)発、夕方はLeeds行の列車がいる。この鉄道会社もHSTを所有する高速列車の運行会社である。
 Midland Mainlineにも愛称つきの列車が存在するが、平日の朝しか走らない。
 The Midland Express(ミッドランド・エクスプレス)はSheffieldからDerbyを通りロンドンへ行く列車で途中停車駅が少ない。
 The Master Cutler(マスター・カトラー)はLeedsからSheffieldを通りロンドンへ行く。Leeds―St.Pancras間の最速列車でSheffieldからロンドンまでの途中停車駅は何と1つだけ。
 The Robin Hood(ロビン・フッド)はSheffieldからNottinghamを通りロンドンへ行く。遠回りとなるため所要時間が長い。この名の由来は12、3世紀の英国の義賊ロビンフッドがNottingham出身であることから。
 2004年9月改正から4連の新型車両222系Meridian(メリディアン)が営業運転を開始した。現在9連も登場しているなど、サービスの充実が図られている。


特集[45] (2007/03/04号) by. 阿武止 編集 

英国 GNER(Great North Eastern Railway)

 ジー・エヌ・イー・アール(グレート・ノース・イースタン・レイルウェイ)
 ロンドン・キングズ・クロス駅からヨーク、ニューカッスルなどイングランド東海岸を通りスコットランドのエディンバラ、グラスゴーなどへ向かうものと、ドンカスターで以上のルートと分岐してイングランド中部、ヨークの西リーズへ向かうものがある。おそらく英国では最も主要な高速列車の鉄道会社であろう。
 ロンドン・キングズ・クロスからエディンバラまでは名列車Flying Scotsman(フライング・スコッツマン)のルートを走ることもあり、客車の車体には"ROUTE OF THE FLYING SCOTSMAN"と書いてある。Flying Scotsmanは現在このGNERの運行であるがかつての様な蒸気機関車の列車ではなくGNERの標準車両が使われる。
 Highland Chieftain(ハイランド・チーフタン)はロンドンとエディンバラからずっと北、スコットランド北部インヴァネスを結ぶ、おそらく英国一走行距離が長い列車。
 The White Rose(ホワイト・ローズ)は元ユーロスターの車両だがスコットランドには直通しない。ロンドン−リーズ間専用で運転最高速度は約200k/h。編成全長が長いのでロンドン・キングズ・クロス駅ではホームに入りきらない。(2005年終わりにはEurostar籍に戻った)
 2004年、"Mallard"(マラード)と称し、元InterCity225(91型機関車+Mark 4客車)を更新、Wi-Fiインターネットが利用可能になった。2006年現在、全車両にWi-Fiが搭載されたため、Mallardもほぼ死語か!??! 2007年には遂に、HSTにもこの更新車が登場した。
 2007年からは、ロンドンからリーズまでの本数を増強、他社からのHSTの更新車が充当される。
 しかし、親会社のSea Container社が財政難に直面した事から、GNER自体も存続が危ぶまれる。


特集[44] (2004/12/12号) by. Mistral 編集 

ドイツの新幹線 ICE(Inter City Express)

 日本の新幹線やフランスのTGVが好調に成長してゆく中、鉄道技術大国ドイツは高速鉄道開発でやや遅れをとっていました。在来線の輸送が限界に達する中、ドイツでも抜本的な輸送改善を行うために、高速新線建設と新幹線形列車の導入を決定しました。そこで登場したのが、ICE(Inter City Express)です。

 1990年、最初の新線であるハノーヴァー−ヴェルツブルク間のNBSが開業しました。ドイツの高速新線NBSは、在来線のバイパスであり、ICなどの在来線特急も運転されます。
 第1系列である401/801系(ICE-1)は、1990年に誕生しました。日本の新幹線やフランスのTGVとは異なり、伝統的な機関車+客車の組成で、車体の大きさも在来線のものに準拠しています。両端機関車で、最高速度は280km/h。
 1996年には、片方の先頭車を制御客車にして編成を半分にしたICE2が登場しました。分割を行うことによって支線区への直通が容易になりました。
 2002年のフランクフルト−ケルン間の新線開業では、山岳地帯の急勾配線に対応するために電車方式になったICE3が登場しました。ICE3は最高速度330km/hの性能を誇り、フランスTGV、日本の500系を追い抜いて現在世界1位です。またICE3の亜種として、在来線用の振り子式特急であるICE-T(電車)、ICE-TD(電気式ディーゼルカー)が登場しました。

 しかし、ICEの成長は決して平坦なものではありませんでした。1998年6月、ハノーヴァー近郊でICE1が脱線事故を起こし、死者130名以上を出す大惨事となりました。高速鉄道初まって以来の大事故は、世界の鉄道関係者に深い衝撃を与えました。2003年にはICE-TDの振り子装置に重大な欠陥が見つかり、全車運行停止に追い込まれました。

 ICEは暗い話題ばかりではありません。ICE3の完成度の高さが評価されて、スペイン国鉄がマドリッド−バルセロナ間のAVEにICE3を導入することを決定しました。海外へ輸出することが決まったことから、ICEは名実ともに、日本の新幹線、フランスTGVとともに世界の高速鉄道三巨頭の地位を得たと言ってよいでしょう。今後も、新幹線やTGVと競いながら、ICEは成長してゆくでしょう。 


特集[43] (2006/11/18号) by. KJN@阿武止 編集 

英国 HST(High Speed Trains)

 1976年に登場した43形ディーゼル機関車とMark3形客車を総称してHSTと呼ぶ。1972年に試作車、客車が252系として落成、後に量産車(後の43形機関車)が登場した。
 43形は電気式ディーゼル機関車で最高速度約200km/h。航空機のようなエンジン音が特徴だがそれだけに音がかなり大きい。
 国鉄時代はインターシティ125と呼ばれ英国全土の高速列車に使用された。英国で最もメジャーな高速列車用車両である。しかし2003年頃にVirgin Trainsからこの車両が撤退した。現在43形機関車とMark3形客車を両方所有している旅客鉄道会社はGNER、Midland Mainline、First Great Westernぐらい。あとNetwork Railの検測車に転用されたものもある。GNERのものは全車更新されたが、他社のものは今後新型車両の導入等で廃車が出るのではないか。
 という旧型車両だが、2006年頃からFirst Great Western等の車両のエンジン載せ変えを開始したため、当分は残ることになる。特にFirst Great Westernは、2006年現在最多数のHSTを所有しており、この地位は当分変わりそうにない。しかしながら、同年代のMark 3A客車に廃車が出ていることから、HSTも未更新車、特に元Virginのものはいつ廃車になってもおかしくなさそうだ。


特集[42] (2004/12/08号) by. KJN@阿武止 編集 

イギリスの鉄道

イギリスは鉄道発祥の地。最初の鉄道はリチャード・トレヴィシックにより発明された鉄道といわれる。1804年開業なので2004年は鉄道200周年ということになる。
 1947年に国有化、英国国鉄となり1996年民営化で28もの鉄道会社が誕生した。Heathrow Express(ヒースロー・エクスプレス)といったといった空港とロンドンの間だけの鉄道会社からVirgin Trains(ヴァージン・トレインズ)といったイギリスのほぼ全土を網羅するものまで様々だが、基本的には鉄道会社によって運行区間が決められている。但しこれら元国鉄の鉄道会社を総称して"National Rail"と呼んでいる(日本でいうJR)。
 イギリスは地下鉄発祥の地でもある。ロンドンの地下鉄は世界最古で世界最大のネットワークをもつ。しかし他の地域の地下鉄といったらNewcastle(ニューカッスル)ぐらい。
 その他イギリスには多数の保存鉄道等がある。レール幅15インチのRomney Hythe&Dymchurch Railway(ロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道)は世界最小の公共鉄道として有名。またNational Railの線路を走る超豪華列車オリエント急行も有名。
 とりあえずイギリスの車両を全て集めました。今後は鉄道会社または車両形式別に特集をお送りしたいと思います。


特集[41] (2004/12/05号) by. H.Kuma 編集 

アメリカのディーゼル機関車

とてもマッチョでパワフルなアメリカ型機関車。
中でもこの EMD SD90,80MACは最大級の出力を誇ります。
製造元の EMD(Electro motive devision)は、GM(General motors)の機関車製造部門です。

参考ページ:http://crcyc.railfan.net/locos/emd/sd80/sd80ho.html


特集[40] (2004/12/05号) by. Mistral 編集 

開業100周年 土佐電気鉄道の路面電車

 南国・高知の路面電車、土佐電気鉄道は現在日本最古の歴史を持つ路面電車で、今年開業100周年を迎えました。

 土電の名で親しまれる同社は、路面電車をより多くの人々に親しんでもらえるように、様々な仕掛けを実施していきました。1990年から動く世界の路面電車プロジェクトを開始し、現在ヨーロッパから4都市5車種の車両を購入して走らせています。
 路線長も長く、主力車両も都電6000形・7000形をモデルにした電車が活躍するなど、日本の路面電車が全盛期を迎えていた昭和30年代の雰囲気を色濃く残しています。近代化の面ではやや遅れていましたが、21世紀に入って更新車2000形および国産低床LRVのハートラム(アルナのリトルダンサー)を導入し、現代に通用する都市交通機関に生まれ変わるべく模索が始まっています。

 路面電車の魅力をふんだんに詰め込んだ土電。この特集では100周年を迎えた2004年現在の現役旅客車両全形式を集めてみました。


特集[39] (2004/10/24号) by. かもめ 編集 

ゆとりーとライン

平成13年3月23日、愛知県名古屋市に開業した、日本初のガイドウェイシステム。大曽根と小幡緑地駅を結び、ほとんどが、瀬戸みずの坂や高蔵寺まで乗り入れる。(一部志段味スポーツランド経由)小幡緑地付近には、デュアルモードと呼ばれる施設があり、そこで、案内輪が出し入れされる。
車両は、名鉄と名古屋市交通局とJR東海のがあるが、正面のロゴマークで見分けをつける以外、方法がない。
鉄道の定時制とバスとしての住宅街乗り入れなど、鉄道とバスの利点を合わせた新交通システムである。
経営の現状は、厳しいものの、これからもガンバってほしいものである。


特集[38] (2006/07/21号) by. Mistral 編集 

フランスのトラム(LRT/路面電車)

 かつてフランスは路面電車をことごとく廃止し、わずかにマルセイユ、サンティティエンヌ、リールの3都市に短い路線が残るのみとなっていました。しかし、1985年にナントで路面電車が復活し、以後20年間で合計11都市で新たにトラム(路面電車)が開業しました。 フランスのトラムは、単に復活しているだけではありません。一つの街に電車が登場するたびに、新しい基軸を採用しているのです。
・1987年のグルノーブルでは、中間に車軸のない台車を採用して、世界に先駆けて本格的なノンステップ車を導入しました。
・1994年のストラスブールでは、斬新なデザインの100%低床車を導入。世界中に路面電車復権をアピールしました
・2000年には、ナンシーでゴムタイヤ式の路面電車が登場
・2003年には、ボルドーで架線のない集電システムを導入

 この20年でフランスは、路面電車先進国ドイツを凌駕する勢いで最新技術を開発し、世界の路面電車をリードする存在となったのです。
 2006年に入り、5月にミュルーズ、7月にヴァレンシアンヌのLRTが開業し、7月現在で合計16都市でLRTが走っています。秋には、パリの外環状線LRT、フランス初となるパリ郊外のトラム=トレイン、日本でも実験中のトランスロール初採用となるクレルモン=フェランのLRTがそれぞれ開業いたします。フランスのLRTが導入都市数・距離ともに日本の路面電車を追い抜く日は近付きつつあります。

 世界の路面電車革命を引っ張るフランスのトラム−ここでは、フランスのLRTバナーコンプリートを目指しています。

フランスのトラムに関してはこちらのページもご参考下さい。http://eurotram.web.infoseek.co.jp/lrt/fr/fr_j.htm


特集[37] (2004/12/05号) by. Mistral 編集 

日本型LRV(新型低床路面電車)

 近年欧米でのLRT(新型路面電車)の復権が日本でも注目されるようになりました。1997年に熊本市電9700形ノンステップLRVが登場し、日本におけるLRT導入機運が一気に高まりました。以後、ドイツ製の輸入と日本のメーカーによる独自開発の低床車が各地に相次いで導入されてきました。この特集では、これからの日本の都市交通の未来を担う存在とも言えるLRV(新型低床路面電車)を最新型U3ALFAを含めて集めてみました。
 一口に低床電車と言っても、二通りがあります。一つは従来型の台車を使い、台車間の床だけを低くする部分低床車。もう一つは特殊な台車とモーターを使い、車軸がなく左右の独立した車輪を駆動することにより、全車内を低床化した100%低床車です。部分低床車の方が、コストが安く、メンテも楽ですが、車内に段差ができるという欠点があります。100%低床車はバリアフリー化という観点では優れていますが、製造コストが高く、なおかつ独立車輪の技術が外国メーカーの特許となっているために、日本での製造は難しい面があります。
 ドイツ製の低床車は、新潟トランシス(旧新潟鉄工)とアルナ工機が代理店になって輸入されています。現在、熊本、岡山、高岡にGT形と呼ばれる2連接車が、広島電鉄にコンビーノというフローティング構造(台車のなく、浮いているユニットがある)を持つ五連接車が導入されています。また、2006年にLRT化される富山港線にも高岡と同じGT形が導入されます。
 日本型LRVは、まず1999年に東急世田谷線に300系が導入されました(東急車輌製)。300系では低床化をせず、逆にホームを嵩上げしてノンステップ化しました。2000年には名鉄美濃町線に、スロープを用いた800形が登場し、日本初のノンステップ車となりました。国内路面電車最大手のアルナ工機は、リトルダンサーシリーズをリリースし、鹿児島、高知、松山、長崎で採用されました。また、函館市電では、更新車ながら台車間をノンステップにした8100形が導入されました。
 2004年11月には、かねてから開発を進めてきた国産LRV用車軸なし台車を採用した第1号のLRV、U3ALFAVehicleが落成しました。この車両は来年3月に広島電鉄グリーンムーバーmaxとしてデビューする予定です。


特集[36] (2004/09/24号) by. 電車おっかけ少年 編集 

茶ガマ

よく国鉄型の機関車に「昔懐かしい茶色の機関車」という言葉を目にしますが、登場時の塗色はほとんどが国鉄標準色。
茶色は後で塗り替えられた色です。
茶色=懐かしいという事はいつからでてきたんでしょうね。


特集[35] (2004/09/11号) by. sekine4984 編集 

721系による全国ステンレス車両塗装めぐりとMS規格

このほど新館にシリーズとして「721系による全国ステンレス車両塗装めぐり」を投稿しています。この「721系による全国ステンレス車両塗装めぐり」は、721系をほかのステンレス車両の塗装をするとどうなるかという趣旨をもとに作っています。当たり前のことですが、「721系による全国ステンレス車両塗装めぐり」の車両は、実際には存在しません。
しかしながら、モデルとなるステンレス車両が少なくなり、製作しづらい状態となっています。また、表示されている会社名以外にも同一塗装が存在することが明らかになりました。表示されている会社名は代表的な塗装としてとらえてください。

また、MS規格というミニサイズアイコンが登場しました。こちらの正式名称は「ミニシクハシ規格」で、サイズは32ドット×65ドットです。全ての車両を同じサイズとしているため、中間車が長く見えてしまっていると思いますので、今後は先頭車と中間車のサイズをそれぞれ決めて、それに基づいて製作する予定です。



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