クリエータ ID: パスワード: ※クリエータ以外の方は投稿出来ません。 特集No. [48] 特集タイトル 特集URL 特集コメント TEE(Trans Europe Express)は戦後の西ヨーロッパ鉄道界で技術の粋を尽くして作られた豪華国際特急である。戦後台頭する飛行機に対して、1954年にオランダ国鉄総裁の提案によって、TEE(ヨーロッパ横断特急)の運行が決定した。TEEは日帰りが可能なダイヤで、運行する車両はクリームと赤の専用塗装、全車冷房装備の1等車、座席は1-2人掛、乗客全員が供食サービスを受けられることが条件であった。車両に関しては、細かい規定が無かったために、各国国鉄は技術とデザインの粋を尽くしてTEE車両を送り出した。1950年代後半から1970年代に至る期間、華麗なる豪華特急たちがヨーロッパを駆け回ったのである。 TEE車両は、当初は国境での機関車交換を省くためにディーゼルカーを採用した。その後電化の進展に伴い、電気機関車+客車の編成に切り替わった。また、スイスやイタリアでは電車方式のTEEも作られた。戦後ヨーロッパ諸国が粋を尽くしたTEEの名車たちは日本にも多大なる影響を与えた。昭和30年代の国鉄や私鉄の特急電車は、この時代のTEEやその他の電車・気動車の影響を受けたものが多い。50年代から60年代前半はディーゼル動車が主役であった。この時代のディーゼルカーは、床下分散型エンジンが未発達であったために、両端または片方の先頭車に大型エンジンを搭載するスタイルが多かった。 1964年の日本の新幹線開業はTEEにも多大な影響を与えた。60年代後半になって、TEEは電気機関車牽引による200km/h運転を開始したのである。TEEといえば誰もが思い浮かべるドイツの卵形電気機関車103形、フランスのゲンコツ形電気機関車CC6500形などのスーパースター電気機関車が登場し、TEEも高速運転時代に入ったのである。ミストラルやラインゴルドなどの列車が黄金時代を迎えたのはまさにこの時期である。この世代の客車は高速運転に対応しながらも豪華さを追求し、食堂車の他、豪華なバーやラウンジ、中には美容室まで持つ列車まで現れた。1970年代いっぱいまでTEEの黄金時代が続いた。 しかし80年代に入ると、豪華一点張りのTEEは時代に合わなくなっていった。航空機の運賃が下がって大衆化すると、鉄道でも2等車連結が普通となり、全車1等のTEEは利用しにくい存在となっていった。TEEは2等車をつないで大衆化して生き残ろうとした列車(ミストラルなど)と、さらに豪華にして観光客向けのクルーズ列車化となった列車(ラインゴルドなど)の2つに別れた。 1981年フランスで初めての新幹線TGVが開業するとヨーロッパの鉄道も高速鉄道時代に入り、完全にTEEの時代は終わりを告げた。1982年にミストラルがTGVに置き換えられて廃止された。1987年にはドイツの名門ラインゴルドが廃止、90年代前半には最後のTEEが廃止となり、TEEはその歴史の幕を閉じた。 ここでは、ヨーロッパの鉄道黄金時代を作り、戦後の日本の鉄道関係者にとって憧れの的であったTEEの車両たちを集めてみた。注)TEEは直訳すれば「ヨーロッパ横断急行」であるが、全車1等でその国の威信をかけた豪華列車はまさに「特別急行」そのもの。なので、ここでは「ヨーロッパ横断特急」としている。 修正 削除