クリエータ ID: パスワード: ※クリエータ以外の方は投稿出来ません。 特集No. [53] 特集タイトル 特集URL 特集コメント ラインゴルト(ライン川の黄金、Rheingold)号はオランダからライン川沿いにドイツ国内を経て、スイスまで走るヨーロッパを代表する国際特急列車である。オランダからドイツ、スイスを結ぶ役割の他に、イギリスのポーツマスからの連絡船に接続するという役割もあった。運転区間の基本はアムステルダム−バーゼル間で、オランダ側では一部車両がライン河口の港町フォーク・ファン・ホラント始発で運転されていた。スイス側では季節や時期によって、ジュネーブ、クール、イタリアのミラノまで直通していた。また、姉妹列車としてラインルール地方とミュンヘンを結ぶRheinpfeil号があったが、後にこの列車が廃止になるとRheingoldの付属編成がミュンヘンまで直通するようになった。 愛称のラインゴルトとは、ワグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」の序夜(第一章)「Das Rheingold」にちなむ。ライン川の底に沈む黄金、ラインゴルトで指輪を作ると世界の富と権力を独占できるというという伝説がある。オペラでは、ラインゴルトで作ったニーベルングの指輪を巡って、北欧の神々、巨人族やワルキューレ、人間の英雄ジークフリートたちが壮大な争奪戦を繰り広げる。特急ラインゴルトの沿線はニーベルングの指輪の伝説の他に、妖精が美しい歌声で船人を惑わしラインの川底に沈めた伝説のあるローレライ、ライン川沿いに点在する古城たちなど非常に風光明媚な景観が広がり、観光客にも人気のある列車であった。 ドイツ国鉄では、このラインゴルト号を看板列車と位置づけ、常に一番特別な車両を導入してきた。戦前は、フレッシュドールやエトワールデュノールとならぶ国際特急列車として知られていた。戦後は、TEEを代表する列車としてヨーロッパ鉄道界の頂点を極めた。戦後のラインゴルトにとって、特別列車としてスタートを切ったのは空調設備を備えた最新型客車が登場した1962年である。ラインゴルト専用として製造された客車は、その後のドイツTEE客車のスタンダードとなった。ラインゴルト専用車としては、一部2階建てのドーム室付きの展望車、厨房部分2階建ての食堂車である。1962年の段階ではまだラインゴルトはTEEになっておらず、コバルトブルーとベージュの専用塗装をまとっていた。1965年にラインゴルトはTEEの仲間入りを果たし、赤とベージュのTEE塗装となった。牽引機関車は、当初は汎用旅客機E10のギア比を高速仕様にしたE10.12(後の112形、現113形)であり、62年段階ではコバルトブルーのラインゴルト塗装、65年以降はTEE塗装となっている。1971年からは卵形の高速機103の牽引となって全盛期を迎えた。 1977年に200km/h対応不可能であったために象徴であったドームカーが廃止され、ラインゴルトも他のTEEとあまり変わらない姿となった。このころから全車一等のラインゴルトはだんだん時代にあわなくなり、かげりが見え始める。1983年からは観光の目玉列車とするべくリニューアルが行われ、ピアノを設置したクラブ・ラインゴルトという車両が連結された。結局1987年夏をもってラインゴルトは廃止され、その栄光ある歴史の幕を閉じた。 ここでは主に戦後のラインゴルトに使われた車両を集めてみました。編成セットでは、ドイツの機関車が牽引しています。電気機関車はNS1100やSBBのRe4/4も用意してありますので、オランダ国内やスイス国内の姿も再現できます。また、客車の編成は時期や季節によって大きく変わるので、各自の好みでアレンジしてください。 修正 削除