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はじめに

大阪駅ホーム 
 

 98年1月に五能線に出かけ、99年3月までの1年2ヶ月をかけて連載(ただし『不連続掲載』の略)させて頂きました(別項「五能線の旅」をご参照)。これをきっかけに、永年使っている旅行ノートのメモ書きの中から、これはと思うものをさらにピックアップし、記録に留めようと書き起こしたのが本稿です。
 3泊4日の行程中には、様々な人との出会いがあり、そこにスポットをあててみました。ノートを読み返した時、書棚の片隅で小さなページの中に埋もれていた、そうした人々の表情の一つ一つが、ありありと思い出されてきました。職業や性別、境遇もいろいろですが、皆それぞれの人生を黙々と生きていました。
九州の鉄道の楽しさと共に、そうした市井の人々の姿から、何かしらお感じ頂けるものがあれば幸いです。



第1章  寝台特急「彗星」大阪〜大分

 1991年9月13日。その日は結婚記念日だというのに、お父さんはまたぞろ汽車ポッポ三昧だ。9月1日のカミさんの誕生日に少しばかりはりこんだので、罪滅ぼしとさせて頂く。週末をからめての3連休に亭主が不在なので、その間家族は実家で過ごす。
 週末の仕事を慌ただしく、しかしそれなりに段取りよく済ませて、会社から大阪駅に直行し、20時20分に着いた。
 飛騨路からのロングランを終えて、キハ58・28系の急行「たかやま」が到着。パステルカラーのボディに大きな丸いヘッドマークをつけて頑張っている。
 やがて「たかやま」が宮原区へと引き上げる頃、入れ代わりに25系客車の「なは」が入線。「レガートシート」や「デュエット」といった、居住性の高い車両が連結されて、遠路西鹿児島まで行くぞと張り切っている。

寝台特急「彗星」 
 

 さて我が「彗星」は14系。マニアの方ならご存じの通り、14系は分散電源方式である。25系は集中電源方式で、編成の最後に「カニ**」といった形式の電源車が連結され、空調や照明、コンセントなどの電源を一手に引き受けているのだが、14系では一部の客車の床下にディーゼル発電機が取り付けられ、数両分の電源供給を受け持っている。形式でいえば「オハネフ」という、乗務員室つきの車両がそれにあたる。ローカル線区での編成分割を考慮した設計だ。
 これに乗り合わせると、発電機の音や騒音で安眠できない、という神経質な人もいる。私の場合はそれほどでもないのだが、客車のくせにエンジンの音がするというのは、ブルトレに乗っている気分を損ねるので、やはり好きではない。幸い今日の5号車はそれに該当しない。
 缶ビール1本でいい気分のうちに、21時02分「彗星」発車。

 高い寝台料金を何のために払っているのかといえば、寝るためというよりは、一夜の寝台の風情を楽しむためにある。修学旅行の夜は、寝るためではなく枕なげをするためにある、という中学生の心理と次元が変わらない。飛行機だって、嫌いな人は離着陸が恐いというけれど、あれがなくては航空運賃を払う甲斐がない。時速数百キロで高低差数千メートルをぶっ飛ばしてくれるジェットコースターなど、どんな絶叫マシンでもかなわない。

 とにかくそういうわけで、私は一晩ろくに寝ず、次のような発着メモを残した。長くなるが、睡眠不足に免じて列挙させて頂く。

  2120:車内検札。
  2126:神戸停車。ちょうど窓外に、東海道本線と山陽本線の境界標識が見える。
       発車後「おやすみ」放送。
  2212:姫路。
  2317:岡山。
  2330:倉敷。5号車の寝台がほとんどふさがる。
  0000:水筒に詰めた日本酒があとわずかになる。
  0021:尾道。海と国道2号線が並走。対岸の島の明りがあっという間に飛び去る。
  0031:三原通過。
  0305:徳山運転停車。コンビナートの明りが並ぶ。乗車時間にして延岡までの半分が経過。
  0325:天井をたたく雨音がする。
  0452:門司。関門トンネルを抜けたところで、雨音で目をさます。機関車の付け替えのため
       しばし停車。連結の軽いショックの後、すぐまた走り出す。いよいよ九州。
  0643:「おはよう」放送。別府の手前で、定時運転。

 こうして、ろくに2時間と続けて眠ることもないまま、朝7時過ぎ、大分到着。洗面所で顔を洗うと、眠いが清々しい気分だ。一夜明けたらここは九州。目は覚めたが、「夢」はいよいよこれからである。

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