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  山梨交通鉄道線 YAMANASHI TRAMWAY [10]  

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□長沢新町〜甲斐青柳

食後にちょっと考えた。ここ利根川沿いの道をずっと登坂して行けば、櫛形山林道や丸山林道など自転車乗りにとっては魅力の地域。だが時間も時間なので、今日はこのまま青柳へ向かおうと思う。途中、長沢の駅跡は良くわからなかったが、ホーム一本だったはずなので痕跡はおそらく皆無だろう。民家が増えて来ると軌道跡は太い幹線道路に突き当たる。それを横断した先でここまで延々と続いて来た廃軌道はプッツリと途切れ、コンビニとその奥に町民会館の大きな建物が行く手を阻む。

ここが終点「甲斐青柳」駅跡だ。コンビニ前の広場の片隅には町営バス待合所(青柳車庫)があるが、山交バスの方は大通りを通っているのだろうか。町民会館の玄関前を通って裏手へまわってみると、細長い敷地が駅跡からもう少し先まで続いており、駐車場や陶芸教室等のプレハブが建っていた。この鉄道は一時期、青柳〜鰍沢間の免許も持っていたので、延長へ向けての対応も可能な構内配置を考慮した為だろう。件の写真集に載っているこの駅は以下のような具合だ。

終点、甲斐青柳に今しがた電車が着いた所か、駅前で談笑する人々、また折り返しの電車に乗るために三々五々集まって来た人達で、小さな駅は賑わっている。線路は2本、それを挟んで二つのホームがあるが、現在は駅舎の乗っている方だけしか使われていないようで、反対側のホーム上は草ぼうぼう。電車は1形で1号の車番が見えるが、同じ線路の少し奥に離れて、7形らしき電車がビューゲルを降ろして昼寝をしている。廃止間近の駅本屋は壁もボロボロで、一部は骨組みまで見えてしまっているくらい。だが無人ではないらしく、柵の上に乗せられた当直用の布団が、午後の柔らかい日差しを浴びている。


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28. 甲斐青柳付近
(道路の向こうが駅構内)
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29. 甲斐青柳構内
(会館裏手の細長い敷地)
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30. 富士川大橋
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31. 市川大門駅

探索が終わり、復路はライバルとなった身延線(富士身延鉄道)に甲府まで運んでもらう事にした。青柳駅前の大通りをそのまま東へ向かうと、釜無川、笛吹川が合流して富士川となる地点にその名も「富士川大橋」がかかっている。それを渡り、身延線に沿って今度は若干北上。途中には、天井川となった印川の下を身延線と県道のトンネルが貫通していて、山交線を想起させる。ここを潜ればすぐ市川大門駅に到着だが、竜宮城かと見紛う奇抜な駅舎にはビックリ。ちょうど反対方向の電車が発車したばかりか、自転車を分解している間に下りて来た人達が行ってしまうと、待合室で電車を待つのは私唯一人となった。




□おわりに

実はこの鉄道に関しては当初あまり良く知らなかったし、興味のわくものが特にあるわけでもなかった。際立った所を走ってもいないし、車両もどちらかと言うと鈍重で地味な感じのものだ。それが、花上氏の写真集「山梨交通鉄道線回想録」に出会って、その数々の写真を見るにつけ、私はすっかりこの甲府盆地を走っていた小さな電車の虜になってしまった。

それは何故かと問われても明確な答えは出し得ないが、おそらくその生活感あふれる沿線風景を切り取った写真から滲み出る、愛情のせいかも知れない。一つにはこの電車に乗る人々や走らす人達の山交線にかける愛情、そしてもう一つはファインダーを通してそれを見つめる花上氏の愛情だろう。そんなこの写真集から一文を引用して、この探訪記の締め括りとしたい。

「どこで写真を撮っても、電車にはよくお客さんが乗っていた。バスの便も少なく、自家用車をたやすく買える時代でもなく、甲府盆地を行く電車は、地元の人々の大切な足であった。」 ・・・「山梨交通鉄道線回想録」より引用




参考:

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