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  山梨交通鉄道線 YAMANASHI TRAMWAY [7]  

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□甲斐飯野〜巨摩高校前

甲斐飯野は、もし駅が現存したら必ずや某吉本芸人のギャグに結びつける輩がいるに違いない(笑)。ともあれ、ここまで西進して来た線路はやっと目的の経度に達したと見るや、やおらその進路を真南へと向ける。ちょうどそのカーブのど真ん中に駅があるが、その前後はどちらへ行っても直線区間なのだ。何故にわざわざこんな曲線上にホームを持って来たのか、甚だ疑問が残る。

ここも交換可能駅で広い構内を持つが、末期は線路が取っ払われて、駅舎側のホームだけで運行を行なっていたようだ。駅跡には現在何も痕跡が無く、カーブした道の両側に数軒の家並みが続いているばかり(写真20.)。駅跡を過ぎて道が直線に戻ると、右手に櫛形の山塊、左手には(見えないが)国道52号線を従えてどこまでも進む。お昼時だが、冬場で迎角の低い日光が南から射してくるので、正面を向いて自転車を漕いでいると風景がモノトーンで見える。何だか昔の世界にタイムスリップしたようだ。

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20. 甲斐飯野付近
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21. 桃園付近
(甲府方向を撮影)
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22. 巨摩高校前付近
(まちの駅)
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23. 巨摩高校前付近
(まちの駅の案内板)

桃園駅は桃園神社の前あたり(写真21.)。ここの領地を昔治めていた貞純親王が、京都の六条桃園の出身であった為、この地名になったという。巨摩高校前付近まで来ると、道ばたに「まちの駅」というのがあった(写真22.)。「道の駅」は知っていたが、最近はこんなのもあるのか。南下し始めてからずっと走りっぱなしだったので、ここの駐車場で一休み。ふと観光案内板を見ると、国道52号線の脇に「廃軌道」の文字が(写真23.)。そう呼ばれている事はわかっていても、改めてこのように記載されているのを見ると感慨もひとしおだ。


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