山梨交通鉄道線 YAMANASHI TRAMWAY | [9] | ||||||||
□長沢新町付近 坪川を渡るとしばらく田園地帯だが、やがて徐々に新町の街中へ入って来る。そして少し道が上っているな、と思うと小さな小川を渡る。おっと危うく通り過ぎてしまう所だったが、これがどうも当時天井川だった利根川のようだ(写真28.)。線路はこの川床の下を短いトンネルで抜けていたのだが、その後河川は掘り下げられた為トンネルは跡形もなくなった。 これが利根川という事は... と振り返ると、川の手前には小さな電車がこじんまりとした屋根の下に鎮座していた(写真29.)。でもなんか写真で見た山交の電車と雰囲気が違う。それもその筈で、この電車は山梨交通が廃止されたのち上田丸子電鉄へ譲渡され丸子線で活躍、だがそこも廃止されると今度は江ノ電へと移籍し、その過程でかなり改造を施されているのだ。
転出当時の形式は 7形モハ7,8号で山交線の中では唯一戦後生まれの車両、それが丸子線では 2341,2342号、江ノ電では 801-802号としてそのままペアを組んで使用された。江ノ電では戦前色塗装「チョコ電」で親しまれたが、新車と交代して現役を引退し、生まれ故郷の山梨に戻って来たというわけだ。ここにあるのはモハ8号との事だが、相方の 7号の方は個人の方に引き取られて御殿場方面に保存されているらしい。 改造点は多いが、元は客用ドアが 2扉(現在は 3扉)、正面窓上に小さな行先表示窓があり、塗装も末期はオレンジ色だった(写真30.)。サッシ顔シールド2灯と正面マスクもかなり近代的になってしまったが、江ノ電では 2両固定編成で使用されていたため、幸いなことに手付かずの連結面側は製造当時の雰囲気を良く残している。電車の置かれている周囲は川土手の削られた跡の敷地がそのまま利根川公園となっており、その面影が残る顔の見える芝生に陣取って、ポカポカの日溜りの中で遅めのお昼とした。 |