田駄雄作の鉄道四方山話 |
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〜 はじめに 〜 |
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中学や高校時代は時間的、経済的条件に加え学校や家庭からの制約もあり、気ままに旅行をしたり遊んだりできないのでなかなか鉄道趣味の満足心を充たすことができない。また趣味自体が固定化されている訳でもないので、新しいジャンルのものに出会ってこの道を去る者も多く、また色々なものに興味があっても時間的、経済的理由から諦めざるを得ない場合もままある。趣味論についてはまた項を改めるが、そんな中でおおっぴらに旅行できる機会に学校行事である旅行、修学旅行(好きな名称ではないが)や遠足、臨海、林間学校などの学旅があった。バスを使うことも多かったが、長距離となるとやはり主役は鉄道となる。もちろん団体行動であるから自由に旅と鉄道を楽しむことは難しいが、そこはそれ、好きな鉄道だからうまくやって結構楽しんだものだ。私の出身校は中高一環の私立で、決してお坊ちゃん学校でもなく、問題学校でもなく校風も良かったので結構自由に行動出来たのも確かだった。そんな中で印象に残っている旅の話3点について想い出すままに。 1.昭和39年夏。林間学校
中学2年の林間学校、行く先は白馬。大糸線の信濃四谷駅(現白馬駅)までの鉄道の旅の始発は新宿駅。6時台発の鈍行長野行きだった。夏の登山シーズンだけに座席確保のため、新宿乗車となったようだ。(学校は国立にある)
一週間後、帰りは松本から臨時夜行準急の乗車ということで、どうせ寄せ集め客車だろうなんてタカをくくっていた。事実、同じ列車で帰った前の班の友人からの情報ではオンボロ客車ということだった。後で調べたらこの臨時準急「白樺」は一日おきに東京と長野で受け持っていて、長野局持ちはオハ61なんかも混ざった寄せ集め編成だったらしい。バックで入線して来た編成の先頭はスロ53、続くのはなんとブルーの客車だ。(まだ旧客のブルー化前)しかも狭窓が続く、東京局担当の編成は品川のスハ44系だった。数人の鉄ちゃんがどよめきたった。「これ特急つばめの客車だぜ!」「へぇー!」当時はこれで全員に通じた。まだ客車「つばめ」の廃止から数年しか経過していない。 2.昭和40秋。東北修学旅行 普通は中学で関西、高校で九州とか北海道という学校が多かったようだが、歴史的重みのある関西はぜひ教育や情緒的に成長した高校生で、という一貫教育ならではの方針で中学は東北となったようだ。 1日目 上野〜(急行第1いわて)〜仙台→松島泊
盛岡電化の一週間後ということで、453系電車の「いわて」も新顔列車。私も東北本線の旅は初めてだったので(常磐線経由は乗ったことがある)興味津々。交直流急行電車の快走に興奮した。途中やはり新顔の特急「やまびこ」とのすれ違いを窓から大きく顔を出して撮影していたらその後ろから撮ったやつがいて、後日教師から呼び出しを食らい証拠写真を突きつけられた。弁解の余地無し。 2日目 松島→平泉→繋温泉泊
全部バスの行程だったが、平泉中尊寺の駐車場が東北本線の線路際。貨物列車がバンバン通過して行くが仙台〜盛岡は一週間前に電化されたはずなのに機関車は全部蒸機!それもD51だけでなくD62の姿も。中尊寺の展望台からは蛇行する衣川と東北本線の大パノラマ。300mm位のレンズで狙えばとも思うが無い物ねだりということか。バスが出発直前やって来たのはD51+D62重連、かろうじて窓から撮る。その前に線路際で撮ったはずのD62の写真はなぜか見つからず。 3日目 繋温泉→十和田湖→蔦温泉泊 本日もバスだが途中休憩で立ち寄った竜ケ森ではちょうど86の旅客列車の出発に立ちあう。 4日目 蔦温泉→青森→弘前泊 バスが途中で故障し、代わりにやって来たのがふそうボンネットの路線バス。これはこれで楽しかった。弘前の自由行動で黒石の「リンゴ試験場」へ。行きはバスだったが帰りは弘南鉄道に乗車。もと西武の151型に久々の再会。門限を2時間も過ぎて旅館に戻ったが、我々のグループは優秀組(私以外は)だったのでお咎め無し。この時の「リンゴ試験場」レポートはなんか賞を貰った記憶がある。 5日目 弘前〜(急行あけぼの・しらゆき)〜秋田→男鹿半島→秋田〜(急行男鹿)〜翌朝上野
気動車時代のキハ58「あけぼの」に乗車、シルバーの円形ヘッドマークが印象的。秋田駅前では旧都電(?)の秋田市電ポールカーを撮影できた。 3.昭和42年秋。関西修学旅行 6年一環教育とは言え、高校から編入してくる連中も2クラスあり、その多くは中学時代に関西を経験している。彼らには一部別コースを用意するという気の配りようである。しかし全部で8クラス、400人の団体さんだからその移動は大がかりで関係者の気苦労は今思えば察するに余りある。 1日目 東京〜(新幹線こだま)〜京都→吉野山泊
多くの者は新幹線初体験、私も関西まで乗車するのは初めてだった。途中は米原のD50や気動車などをスナップしているが記憶は定かでないが、米原については最終日の密謀計画があったため感情を表に出さないように気苦労した覚えがある。
2日目 吉野山→奈良泊 昼間の記憶は殆ど無く、夜の自由行動で鉄仲間連れだって奈良機関区へ。まだ関西本線や周辺の支線が無煙化前でラウンドハウスにはD51、C57、C58、C11、C12、86などがズラッと並んでいた。三脚でバルブ撮影したが他の連中はどんな写真を撮ったんだろうか。駅の向こう側は自由行動禁止地区だったけれど機関区は駅の一部と勝手に解釈。 3〜5日目 奈良→京都(3泊)
昼間は京都の名刹や琵琶湖方面を訪れ、それぞれ印象もあるのだがその順番などは思い出せない。やはり夜の想い出が残る。宿泊は京阪三条からほど近い修学旅行ではおなじみの「日昇別荘」。 6日目 京都〜(新幹線ひかり)〜東京
京都を発つ午後2時頃までが自由行動。ただし同じクラス内のグループでの行動との制約付きだが。
2002/01/29 |
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