Button前へ    田駄雄作の鉄道四方山話(過去記事)

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第9話:St.Valentine Image

 オーストリア西北部の地方都市、リンツ(Lints)の郊外にあるザンクト・バレンティン(St.Valentine)の街の朝は濃いミルク色の霧に包まれていた。トレーシング・ペーパーを一枚づつ剥いで、また重ねて行くように通勤、通学の人々が霧の中をシルエットとなって、現れては消えてゆく。ホテルの前には教会の尖塔がある筈だがそれさえも見とることは出来なかった。早起きして駅まで行き、撮影をするつもりだったがこれでは写真になりそうもない。相棒はまだベッドで夢の中のようだ。7時過ぎにTEEが通過することになっているのでぜひ狙って見たいのだが。迷った末、意を決してカメラを持って街へ飛び出す。ブロンドヘアーも美しいホテルの若女将が「グーテン・モルゲン!」とやさしい声をかけてくれる。この辺の緯度は稚内よりも北に位置するはずだが、10月初旬というのに肌寒さは感じず、清々しい空気が心地よい。駅までは数分の距離、途中パン屋さんから香ばしい匂いがただよい、空腹にしみる。
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入れ換えの旧型電機と通過する急行用電車

 幸いなことに駅構内は多少視界はマシで、時間の経過と共に晴れつつあり、期待が持てる。TEE通過まではまだ30分ほどあるので、構内をスナップする。このザンクト・バレンティン駅はウィーンとザルツブルク、さらにミュンヘンを結ぶ大幹線上の駅で、さらに支線が2ルート分岐するので構内は広く、ひっきりなしに貨物列車が霧の中から現れてくる。オーストリア国鉄のオレンジ色の機関車の汽笛は「ブ〜ヒ〜」とブタの鳴き声のような音色で滑稽だ。続く貨車も長い編成でカラフルに彩られていて、メルクリンの貨車と瓜二つ(あたりまえ!)。日本の貨物列車と違うのは、ねじ式連結器のため、あの連結器同士が触れ合うガチャンガチャンという音が聞かれないことだ。
 構内には支線に向かうオープンデッキの2軸客車主体のローカル編成や、日本のキハ20の屋根を深くしたような気動車が、これも2軸客車を連結して待機していたり、ボンネットのついた旧型の電機が入れ換えをしていたりで見ているだけでも退屈しない。この時間帯、普通列車の間隔が開いているようで、ホームにお客さんの姿は見えないが。
 視界が良くなってくると気になるものが見えてきた。広い構内の一番向こう側に、蒸気機関車が停車している。もうオーストリアや西ドイツ(当時)からは大型蒸気は消えつつあり、この付近には走っていない筈だ。なんとか近くまで行ってみたいとは思うが、如何せん本線や貨物線の向こう側、駅の前後には踏切や地下道は見当たらない。しかしどうしても行きたい!行きたい!と、タイミングよく職員とおぼしき人が線路を横断し始めたので後を付いて渡ってしまった。しかし霧の中からいつ列車が現れるか判らないので、怖かったのは事実である。蒸気機関車は本線用のE型貨物機で、火は入っていなかったが廃車体と言うほどでもなく、いつでも走り出しそうな状態だった。結局のところ、ドイツ型の大型蒸気機関車を見たのはこれが最初で最後と言うことになってしまったのだ。(今のところ)
 もう一回怖い思いをして、(今度は単独で、オーストリア国鉄さまごめんなさい)もとの場所へ戻り、TEEを待つ。視界はまだ200mといったところで直前にならないと接近は判らない。構内は複々線になっているようで、どの線に来るのかもいまいち確信が持てず、日本とは逆の右側通行なのでいっそう分かりづらい。
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霧の中から現れたDB103型,TEE「プリンツ・オイゲン」

 突然、霧の中から三つのライトが見えたかと思うと、西ドイツ国鉄DBの103型電機が飛び出してきた。思っていた線路よりさらに一線手前の線だった。TEE「プリンツ・オイゲン」。この先西ドイツ国内に入ってから編成が長くなるが、この区間はまだたった3両編成!初めて見た103型は迫力充分。最近廃車になると言うことで、日本と同じようにオリジナルの塗装に戻されたりして騒がれているようだが、その時はまだ大型のパンタグラフが付いた初期の姿だった。列車はあっという間にまた霧の中へ消えて言った。103型を見たのもこれが最初で最後になってしまうとは。
 このザンクト・バレンティン、英語読みをすると「セント・バレンタイン」となり、日本人にも親しみやすい地名になってしまう。詳しくは判らないが、聖バレンタイン卿ゆかりの土地であるのだろう。ドナウ河流域の小さな街になぜ泊まったかというと、ナローの蒸気機関車の走っていたシュタイルと、古城の前を小さなやはり蒸気機関車(しかもファイアレス)が走るシュヴァルツ・ブルグにほど近いということで前に来たことのある同行のI氏に連れられて来た次第だが、I氏の本当の目的は、ブロンドのホテルの若女将と再会したかったのではないかと思われるのである。しかしここに来なければ、私はドイツ型蒸気機関車や103型電機機関車を見ることは出来なかったと言うことになるのだ。(訪れたのは、1977年10月)

2001/12/01


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