前へ 田駄雄作の鉄道四方山話(過去記事) |
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新線開業、スピードアップ、新列車の運転開始などには出発式がつきものだ。ブラスバンドの演奏やくす玉割り、運転手車掌への花束贈呈など式次第が続くが、クライマックスのメインエベントと言えば、お偉いさんの面々がずらっと並んでハサミを持ったテープカットだろう。昔から格好の報道材料と見えて、その一瞬を捉えた写真が新聞や鉄道雑誌を飾っている。バックナンバーを繰ってみても鉄道の歴史の記録を伝える場面には必ずテープカットの場面がある。ところが昔と現代の出発式を較べてみると、いささか時代の流れに乗って様変わりしてきたようである。昔はテープを切る人は一人か二人、なおかつテープは列車の前を横切っている。これはテープカットの意味を考えると当然のことで、新たに出発する列車のルートを開くわけであるからこれが正当というもの。しかし、いつの頃からか、テープは列車を無視してホームの部分のみに張られるようになり、切り手の人も、利害関係が多く人選に困るようになったのか、大人数になってきている。また列車に背を向けて線路方向にテープを張ったものも見受けられる。「主役は列車だろう!」
ただしこれが祝賀列車であって、テープの切り手の人もその列車に乗るとなるとややこしくなるわけで、一旦動いてから停止して、来賓乗車後再出発というパターンも多かったようだ。 出発式の企画をする担当者やイベントディレクターなどが拙文を読む機会があれば、今後の方法について考えて頂きたいものである。
前述の新幹線開業の時は、完全にバリケードを築かれて近寄ることさえ出来ない状態だったが、翌昭和40年11月1日、3時間10分運転の時は意外とオープンで報道陣の脚立の間に立つことができた。やはり同じ「ひかり1号」で谷伍平新幹線局長が一人でカットしたが、この時は列車が動き出してからなかなかテープが切れず、前で突っ張ってしまってからやっと切れたと言う状態は、写真でよく判る。 常磐線電化開業(平駅)、特急「あさま」運転開始(上野駅)、特急「あずさ」運転開始(新宿駅)、西武拝島線開業(玉川上水駅)などに出かけたが、その後定期列車や、開業当日の出発式が少なくなったり、ファンのカメラマンが増えたため警備が厳しくなり「瞬間縄抜け術」が使えなくなってしまったため、行かなくなってしまった。列車の前で切れたテープがヒラヒラした瞬間が捉えられたときは、かなりの満足感があるものだ。
2001/11/23 |
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