Button前へ    田駄雄作の鉄道四方山話(過去記事)

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第5話:常磐線C62最後の日 Image

 昭和42年9月30日、早朝、私は上野発(前日)の227列車を常磐線広野駅で後にしていました。まだ高校生だった私ですが、お別れの日の意味はわかっていました。もうすぐやって来るアイツです。末続駅方面へトンネルをいくつか越えて早暁の道を歩き、撮影ポイントへ。F1.8開放、1/60 xxxでも限度いっぱい。
 軽快にやって来ました。「C6223牽引、特急ゆうづる」見納めでした。白い煙が印象的です。
 C61牽引の普通列車で平駅(現いわき駅)に戻り、機関区に行きました。駅から線路を渡る陸橋にあった標語が印象的です「007は二度死ぬが、君は一度だ気をつけろ」当時はやった映画、「I only live twice=007は二度死ぬ」のパロディですが印象的です。
 本日の花形は3台のC62です。本日ラストの「ゆうづる」牽引のC6223,主役のC6210,C62ラストナンバーのC6249が並べられ、神主さんのお払いなどセレモニーが続きます。
 クライマックスは、青森行きの急行「みちのく」出発です。美しく、美しく整備されたC6249が牽引します。昨日までは訓練運転のED75だったのですが本日は特別、晴れ晴れしい姿です。多くのファンが見送っています。牽引区間は原ノ町まででした。電化前は蒸気機関車は平〜仙台の運用だったのですが、8月に通電されてからは途中原ノ町駅での石炭掻き寄せ作業が出来ないということで、機関車交換、段落ち牽引となっていたのです。(ゆうづるを除く)上りの「みちのく」もC6222牽引で装飾され、仙台〜原ノ町を走り、普通列車牽引で平に戻りました。
 下り列車はC6033牽引、C6121牽引の普通列車ですべてが終わりました。以後の下り列車はすべてED75です。C6033は仙台区のカマですから帰ってきません。C6121は寂しく単機で戻りました。もう旅客列車は完全に電化されました。はずでした。(ちなみに貨物列車はまだD51が多く、完全電化までは数ヶ月を要しています)
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10月1日未明、平に到着した上り「第一十和田」最終蒸気列車
 朝からあぶなかった空が崩れ、雨が降り出し、交流電化の架線がジージーうなっています。傘を差して踏切を渡ると手元にビリビリくるなんて体験もしました。たくさんいたファンの人たちもいなくなった10月1日深夜、午前2時頃、最後のセレモニーがありました。上り急行「第一十和田」の到着。当然ダイヤ改正後の列車ですが、牽引機は昼間「みちのく」を牽いたC6249で、惜別マークもそのままでした。このことは公表されていなかったので出迎えたのは我々3人だけ、常磐線最後の蒸気急行列車に立ち会うことが出来ました。
 翌日は雨もやんで電化開業日和、祝賀列車はED752が牽引しましたが、その頃機関区では機関車の入れ換え作業が盛んに行われていました。昨日「ゆうづる」牽引のC6223がC6222と重連を組んだり、転車台に乗ったり、ヘッドマークをつけたまま走り回っていて、昨日運用についたカマはまだ全車火が入っていました。
 C6223は糸崎機関区に転属して。呉線の急行「安芸」を牽いたりして、その後2年間生きながらえました。さらに北海道に転属の噂もありましたが、それはかなわなかったようです。

2001/10/09


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