田駄雄作の鉄道四方山話(過去記事)

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第1話:釣掛電車の旅 Image

 本当に少なくなってしまいましたが、昔は80系の旅が思い出されます。東海道線の321M(?)に東京〜名古屋、準急軽井沢2号の中軽井沢〜上野などに乗車したことが印象的ですが、初めて関西へ行ったとき(昭和38年)の快速電車のあのスピードが忘れられません。東海道では品川駅から少し下って、八ツ山の陸橋を過ぎたあたりから当時珍しかったロングレール区間を思いっきり加速して行くときの音も迫力がありました。少し後ですが、153系に連結されたクモユニ74の悲鳴もありましたね。(隣のクハからよく聞いてました)111系では当の車両も走行音や窓枠のガタガタ音がうるさくて駄目でした。
 昔は西武池袋線と新宿線の間に住んでいたこともあって、西武の釣掛にもずいぶんお世話になりました、当時開通した秩父線でしたが開通当初は101系も両数が少なく、またAA基準なんて無かったのと、あんまり気にしていなかったのか、何でもありで、ほとんど全ての車両が乗り入れていました。当時私鉄最長だった正丸トンネル内にも、大正時代、昭和初期の釣掛モーターがガンガン音を響かせていたなんて信じられません。
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戦災復旧車の西武311系
 2M4Tで驚かされた501系も平気な顔してハイキング急行で走ってました。17mの301!311は85Kwのモーターなのでさすがに単独では無理で601,701と連結されてギャーギャー言って走っていました。TR10(11の間違いじゃない)を履いたクハなんか上へ下への大騒ぎだった記憶があります。(もともとものすごい乗り心地でした)昔西武の車両は一部の車両を除いて速度計が無かったのですが(701も最初は無かった!)ATS装備の時全てに付けられました。311単独だと頑張っても70キロ位しか出ません。ところがカルダン車と連結すると出るわ出るわ。当時リミットが85キロだったんですが、結構乱暴な運ちゃんが所沢〜新所沢で105キロですよ。西武は早くからレジン制輪子を使っていたのでブレーキをかけて停止したときのあのプラスティックの溶ける臭いは相当なものだった覚えがあります。閑話休題(何が本題でしたかな)
 そんな西武の釣掛車両にまだ乗れるんですよね。信じられません。
 大井川鉄道には351を2ドアにしてクロスシート(初代レッドアローのもの?)に改造した○○型(忘れました)が現役です。色も少し赤味が強いですがオリジナルに近く、2編成もあります。冷房が無いので堂々と窓が開けられます。昔よりいいんじゃないでしょうか。気兼ねなくビールも飲めますし弁当も食えます。台車は本当のオリジナル(旧501時代)のDT11ですから128KWのモーターなのかもしれません。
 大井川には近鉄の釣掛車も走ってます。やっと表題に戻りました。旅が味わえる釣掛車はここだけでしょう。いつまでも走っていて欲しいものです。蒸気だけではありません。
 今月で名鉄もほとんど無くなり、全国的にも数少なく、京福鉄道の行く末も気になります。となると6両編成の野田線は本当に貴重なんですね。
 ちなみに一番身近で釣掛車に乗れるのはどこ?
 ans.都電荒川線 でした。

 長くなりましたので。

2001/09/18


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