4. 回想

●心に残る旅

取材と称してあちこち出歩いていますが、旅先での出来事は些細なことでも意外なほど心に染みて来るものです。 これはいったい何故なんだろうと考えてみるに、きっと、日常と全く切り離されて旅先に一人身を置くという境遇が、旅人の気持ちを少し感傷的にさせるせいなのかも知れません。 そんな印象的だった旅を、5年目以降の記事の中からいくつか拾ってみたいと思います。

まずは 5周年のその年、晩夏に出かけた北海道の旅。学生の頃は北海道が大好きで毎年のように通っていましたが、社会人になってからはずっとご無沙汰でした。 連絡船の廃止された後、青函トンネルで渡道するのもこれが初めての経験。 ネットでじっくりと選んだ道東のコテージは管理人さんも親切な方で、一年遅れでやっと消化するリフレッシュ休暇は最高の癒しの旅となる筈でした。

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ところがそれがそうならなかったのは、一つにはお天気。 ちょうど台風と秋雨前線のダブルパンチで天気は荒れ放題。 事前に宅配便で現地入りさせておいた自転車も、ついに一度もサドルに跨る事なく終わってしまったのです。

そしてもう一つこの旅を決定づけてしまったのは、ニューヨークで起こったあの事件。 コテージに投宿した翌晩にテレビから流れて来た衝撃的な映像は、天気以上に私の気持ちを暗くしました。 雨でおもてへ出られないし、出ても原野の真っ只中という事もあって、宿の部屋で一人悶々とニュースを見続けました。 ここでこんな事してる場合じゃないと思う一方、これは帰りの列車や青函トンネルあたりも、警備がかなり厳重になるんじゃなかろうかと心配したりもしました。 色々な意味で記憶に残る旅となりました。

その年の秋には矢板線跡を探訪するツーリング。 先の北海道行きは心にかなり重い旅となってしまった為、少し気持ちを奮い立たせようという事で自分なりに企画したものです。 日帰りですが往路は東武の特急スペーシア、復路は東北新幹線を奮発して現地の滞在時間をかせぎました。

この時に印象に残ったのは行きに乗ったスペーシア車内での事です。 切符に記載された指定席に行ってみると、初老男女3人グループの方々が、座席を向かい合わせにして楽しくお話し中。 そこに一人割って入ったよそ者の私は最初身の置き所が無かったわけですが、話しかけてみると山歩きもされる人達で、意外にも盛り上がってしまいました。 彼らは下今市で日光方面の乗り継ぎ列車へと乗り換えて行きましたが、「気をつけて行ってらっしゃい」とお互いに声をかけて別れました。

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そう言えばこの旅でもう一つ、声をかけられた出来事がありました。 自転車で線路跡を辿っている最中ある村を通りかかったら、やって来た小学生達に次々と「こんにちはー」と挨拶されたのです。 よく地方の町や村などへ行くとこういう場面に出会う事が出来ますが、とても爽快で素敵な心持ちにさせてくれます。 きっと、誰でも会ったらきちんと挨拶するように教育されているんだと思いますが、いやな事件が横行する昨今の状況で、このような事もだいぶ減ってしまったのではないかと危惧しています。

翌2002年は名無村への旅。皐月の空に映える新緑の山々は、久々の登坂走行に流れる気持ち良い汗と共に、私をさわやかな気分にしてくれました。 全身に緑のパワーを吸い込み、代わりに日頃たまってしまったストレスを代謝して流し出してくれる、そんな感じです。 峠で「若いねぇ。」と声をかけてくれた初老の男性や、山から下り着いた公園でほっと一息の昼食後、帰り際に突然手を振ってバイバイしてくれた幼児のはじける笑顔も印象的でした。

2003年はあちこち頻繁に走りました。 秩父鉄道を訪問したのもこの年ですし、地元の青梅裏街道霞川を辿ったりもしました。 初夏に霧ヶ峰で読者の方に偶然遭遇するという奇跡も起きましたし、秋には久々に会社内の仲間でツーリングanniv23.jpg ヒーヒー言って登った高ボッチの高原で、シェフ(通称)の作ったアボカド料理に舌鼓を打ち、その後一転俄かにかき曇って突然降り出した霰に追い立てられ、転げ落ちるように坂道を下ったのも愉快な思い出です。 年末にはかねてから行きたかった山梨交通の電車も拝めたので、なかなかに充実した一年でした。

その次の年は花旅シリーズでまったりとしていましたが、この頃から18切符の旅にようやく目覚め、自転車抜きであちこち出歩くようになりました。 以前は、出かける場合は必ず愛車とセットで計画を練っていたものですが、この時分からは拘りを捨て、学生時代のような電車だけの旅もまた楽しめるようになったのです。 「赤い電車の夏」で訪れた日立電鉄と岳南鉄道、どちらも駅員さんとの何気ないやりとりが暖かく、心に染みた旅路です。 日立電鉄は既に廃止が決まっていたタイミングでしたが、折り返しの無人駅で切符を渡した運転士さん、 二言三言交わした言葉と寂しげな笑顔が心に残ります。

そして昨年は何と言っても、山陰本線乗り通しの列車旅。 ずっと思い描いていた鈍行列車の旅ですが、餘部橋梁の塗り替え工事や、当日の事故による一時不通等という予期せぬ事態はあったものの、何とか 無事敢行致しました。 この旅で思いがけなかったのは、宿泊地として選んだ松江の街の心地よさ。 事故の影響で夜になって着いたこの駅。 さすがに駅前の商店は既にシャッターを下ろして閑散としていましたが、川岸に沿って歩いて行くと、夕涼みに歩く人々の雑踏と遠く宍道湖上の方 からは打ち上がる花火のお出迎え。

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宿の対応も親切丁寧で(部屋は料金相応だったけど...)、例えばこんな事がありました。 ここはサービスで出される軽朝食のお弁当セットがフロントへ並べられるのを、宿泊者が各自取りに行くシステム。 初日の朝、私は脇に置いてあった箸入れから箸を取るのを忘れてお弁当だけ部屋へ運んでしまい、再びカウンターへと戻りましたが、これをホテルの方が見ていらしたのでしょう。 翌朝には全てのお弁当に最初から箸がセットされ、輪ゴムで留められて並んでいたのです。 しごく些細な事ですが、その対応の機敏さにはさすがに感動。

他にも駅やバス、昼食に寄った食事処やお土産屋さん等、この街で触れた人々は大変きちんとした応対をされていたのが印象的。 ビジターを心から迎え入れようとする心意気が感じられました。 宍道湖と対峙した水の城下町の風情、そしてそこに暮らす人々のやさしさに、私はすっかり魅了されてしまったのです。

日帰りの旅、遠方への長旅、ちょっとそこまでの旅。 自転車の旅、鉄道の旅、徒歩の旅... 旅にも実に色々とバリエーションがあります。 さて、これからの人生でいったいどれくらいの旅が出来るでしょうか。 そしてその中で、果たしてどれだけの旅が深く心に残るでしょうか。 そんな心に残る旅を一つでも多く、今後もして行きたいと思います。 何故なら旅は、心のビタミン剤なのだから。