- 証言集
- 2006-05-21
母が思い出話になるといつも言う。
「おまえ、白熊の檻に首突っ込んじゃって頭が抜けなくなっちまったんだ。」
そんなこと、憶えてないですってば!
小さい頃から未だに、そう言われ続ければ、そんなことがあったかな?
そう確か、あれは、入場してすぐの北極熊の居るところ。
奥が高い位置に陸となって、手前の海に見立てたプールは深いところ。
真下を覗き込まなきゃ、“しろくま”が泳ぐ姿を観ることは出来なかった。
小さかったから、動物達の居場所はとても広く感じたし・・・
実家から、京成バスで電車に乗り換え。
京成真間駅から谷津遊園駅まで。
自動車の場合は、市川市内を通り抜け14号を走る。
中山を通り過ぎると、ほんのり潮の香りがした。
大神宮下や海神では、もう側の海を感じた。
駅を降りると、通りには浅蜊や蛤の出店が並んでいた。
朧気な記憶を辿ると、入り口からすぐは動物園が広がっている。
真っ先に居るのが“しろくま”だった。
その右は、なんだったろう。
チンパンジーが居たことと象は場所と名前はともかく、よく憶えている。
小学一年時のバス遠足。
象は“しろくま”の後ろ側だったろうか?
多くの観客を前にして、誰かがりんごを投げると長い鼻でキャッチして、おじぎした。
後ろを向いてしまった象。
先生がぶら下げている笛をピッ、ピッ、ピッと鳴らすと、それに合わせて前を向いた。
私たち遠足児童や観客達は拍手をした。
トラやライオン、キリンなどは居たんだろうか?
孔雀が確か居たと思う。
孔雀も笛に合わせて前を向き、大きなアラベスク模様のような羽をひろげた。
動物園を通り抜け左奥へ入ると、遊園地。
必ず並んだ、海へと入る感じのジェットコースター、東京湾が遠くまで観える観覧車が思い出深い。
大きな建物はちょっとした劇場だったんだろうか?
ここでは、藤子F.不二夫先生の『怪物くん!』のショーを観た。
もう一つの大きな建物はテーマ館?
秋には毎年大河ドラマをテーマにした菊人形が展示されていた。
『草燃える』 石坂浩二さんの源頼朝と岩下志麻さんの北条政子、そして滝田栄さんの確か伊東之介と呼ばれていたのを、なぜだか憶えている。
そして、今の時期。
春は、フラワーカーニバル。
建物の中を通り抜けると、ヘンゼルやグリムのお話が展開されていた。
遊園地の右奥へ進むとバラ園があった気がする。
海の季節でなければ、いつもここでお弁当。
バラのアーチをくぐり抜けた場所が、いつもの指定席でした。
赤や黄色や、白、ピンク。
色とりどりのバラ達が、それはもう『不思議の国のアリス』の立体的絵本だ。
バラの洋式庭園美が、高橋真琴先生の描くお話のイラストとマッチして、憧れの世界を呈していた。
幼心に、お姫様のお城やお庭を一人勝手に空想していました。
更に奥へと進むと、そこは海。
海の季節は、『海の家』でお弁当です。
幕張海岸へと続く、遠浅の谷津の海です。
春は潮干狩り。
夏は海水浴。
一つの場所で、沢山遊べたのです。
さて、私の記憶は、どこまで憶えていたろうか?
『京成谷津遊園』を検索していたら、とても懐かしい写真をみつけました。
谷津遊園のことが詳しく書かれていました。
加えて証言集がありました。
そうだった!
ビックリハウスで乗り物酔いをした記憶がよみがえりました。
そうだった!
ホントにお城があったんだ!!
お城のお堀は、プールだったっけ?
出口のカタカタと音の出る、ぐるぐる回る鉄格子が小さい頃は怖かった。
もう、おうちへ帰るのか。
何ともいえず、帰るのは『今日は楽しかった!』という満足感と、『その場を離れる寂しさ』とで、複雑なものがありました。
今はもう、古き良き時代の懐かしい思い出。
生まれ育って、乗せてもらって大きくなった感のある、京成電鉄。
『京成谷津遊園』 いつも遊んでくれて、どうもありがとう。
私は、大人になりました。
今、子どもを連れて行く場所は、TDRとなりました。
あと、20年もしたら、孫を連れて行く場所になることでしょう。
この証言はブログ「つばめのいろいろ」より、許可を得て転載させて頂きました。(H.Kuma)