- 証言集
- 2005-09-27
楽しく、そして懐かしく読ませて頂きました。私は、昭和30年生まれで谷津には、2歳から11歳まですんでいました。場所は、当時は3丁目でしたが、谷津干潟の堤防の前、今は、確か谷津ハイツという団地になっている所で、むかしは公務員住宅だったのです。私にとっては、商店街も通学路で(谷津小学校)普段は、普通の生活環境でしたが、日曜日になると町が様変わりして、沢山の行楽客で商店街はあふれました。その商店街に住んでいる友達のお母さんたちも、よそ行きの化粧をして、妙によそよそしい感じがしました。
私も当時の記憶をたどりながら遊園地に入ってみました。あのお城はワンダーランドと呼ばれいわゆる海賊島がテーマになっていました。針の山、実はゴムの三角錐が立っていて、ペコペコと踏みつけながら歩ける山で、次が地面がぐにゅぐにゅしていてあるきにくくなっていました。次は床を踏むと針のついた(例のゴム)天井が傾いてくる部屋、次が紐を引くと、窓の外から水が流れる部屋、子供ながらに、子供だましのお城である事を感じていました。城の外では、バズーカ砲があって、軟球を圧搾空気で打ち出す方式で、前方の的に当てるものでした。
次に、ボールが下から上に上がってゆく部屋があると書いてありましたが、それは、ワンダーランド内ではなくて、別のアトラクションになります。多分ビックリハウスの横にあった建物で、異次元空間をテーマとした館で、バミューダートライアングルのような場所を表現したのでしょうか、建物の中が初めから傾いて出来ていて、3センチ程の鉄球が坂を登っていくように見えるのも床の傾斜を利用して、錯覚を起こさせる仕組みでした。その他には、長さ30センチほどの蛍光管が裸のまま台に置いてあって、それを持って壁に近づけると、薄く光るもので、電磁場を利用したものだと思われます。仕掛けを見破る事を価値としていた当時のませた私でも、さすがにこれには、愕きました。
その他には、河童の人形があって頭の上に手をかざすと、クワ~という何とも物悲しい音を発したのを覚えています。その館での記憶はそんなものですが、後は魔法の城だったでしょうか、全面鏡張りの迷路になった部屋でしたが、床を見ながら歩いてゆけばすぐに出口に出てしまいました。今考えると、その様に物事を素直に受け止めず裏ばかり見ていたのではないのでしょうか、もっとその場を楽しめばよかったです。本当に子供って馬鹿ですね~。
次に、プールですがマンモスプールと言って円形の流れないプールでした。ワンダーランドの道をはさんで隣にありました。もう一つは幼児用の浅いプールがあって、ここはアンモニア臭が強くて私達は、マンモスプールと呼ばず、小便プールと呼んでいました。左手にワンダーランド、右手にプールでその道の突き当たりが、イベント会場で、菊人形展やお化け屋敷などが開催されました。テレビ番組ではロッテ歌のアルバム「皆様、一週間のご無沙汰です、司会の玉置浩です」の収録もありました。
次に開運号ですが、私達はゴマ電と呼んでいました。何でかは判りません。京成のCMソングがテレビから流れていました。谷津遊園駅には絶対停まらない憧れの電車でした。後はゴマ電のおいてあった場所がバラ園の所でその向かいがわに3階建てか2階建ての休憩所があって玄関で靴を脱いでビニール袋に靴を入れて上がるのです。下は絨毯になっていて上の階にはスロープになっていて子供たちの格好の遊び場でした。
私のお伝えしている谷津遊園は、昭和35年から40年の間のものです。地元だけに遊園地に関しては当時ではあまり感動がありませんでした。むしろ幼稚園の時に行った豊島園のウオーターシュートの方が衝撃的でした。後は船橋へルスセンターこれは別格でした。
話は戻りますが、ヘリコプターについての思い出があります。直接乗った事はありませんが、小学校1年の時でした。ですから昭和36年ごろだったと思います。谷津小学校と言う所に通っていました。ある日生徒全員が校庭に出て整列したのですが並び方がまっすぐでなく、ある列は直線ある列は曲線ある列は交差してと、校庭に引かれた白線のうえに並ばされたのです。そうする内に、谷津遊園のヘリコプターがやってきて、すぐそばまできたものですから皆大興奮で手を振ったのを覚えています。
もうお判りだと思いますが人文字でした。谷津小という文字を書いて、そのヘリコプターで撮影したのです。実はここからが本題なのですが、当時 NHKで『魔法のじゅうたん』と言う黒柳徹子さんが司会をする番組がありました。内容は全国の小学校を魔法のじゅうたんに乗って訪問する、と言うもので。毎週土曜日の6時から放映していたと思います。訪問する小学校の6年生の男女生徒がゲストで出演して、黒柳さんと一緒に、じゅうたんに乗って空から訪問すると言う趣向でした。当時何も知らず番組を見ていた私は、自分の小学校が映っていてびっくり、その頃から仕掛けを見破る事に命をかけていたのかもしれません。
今日は時間が無いのでとりあえず、本文を送らせて頂きますが、谷津を大切に思ってくださる方がいることに、当時の住民を代表して厚く御礼を申し上げます。遊園地ばかりでなく、西岸良平ばりの3丁目をまた送らせて頂きます。写真もあると思いますが、手元に無いため何とか探し出して、ご提供できればと思っています。ありがとうございました。