■幸岡駅跡。歩道に面した所にホームの擁壁が残るが、これは電車なみの高さがありそうだ。(47) |
■製材所内に残っている木造の小屋。鉄道で使われた物だったのだろうか? (48) |
■工場敷地の下を真っ直ぐに下り、正面に見えて来た東北自動車道を潜る。(49) |
幸岡駅跡もまた製材所となっており、その後方に建つ年代物の小屋がいい味を出している。雰囲気としては鉄道関連の建物の様にも思えるが、矢板線と共に同じ時代を過ごした事は間違いないだろう。ホームの方は道路に面した所に残っているが、これまで見てきた他駅のものに比べ、心なし嵩が高すぎる様な気もする。これは道路を作る時に、周囲を掘り下げられてしまった為なのかも知れないが。
■やっと平地に出て来た。標識には「城の湯・矢板市温泉センター」とある。(50) |
東北自動車道の下を潜り、矢板市郊外の田園地帯へと降り立てば、もう終着駅は近い。遠くには鶏頂山から続く高原山の峰々が青空の下でなだらかな稜線を見せているが、一方の私は川のほとりを探索しつつ、あちこちをウロついているのだった。そう、ここにあるはずの物が見つからないのである。残されていた橋台は、堤防上の歩道が整備された時に撤去されてしまったのか?
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■人呼んで「東武橋」。廃線跡ではないが、それに隣接した道路橋。(52) |
次の内川にもこれと言った遺構は残っておらず、堤防上を何度か往復してみたもののそれは徒労に終わってしまった。さすがに矢板の市街地が近いだけあって、道路の少し南側を走っていたらしい矢板線路盤の痕跡も見えず。諦めてしばらく川辺に佇んでいたが、ふと思い出して道路橋の写真を一枚撮っておく事にした。その橋の名は「東武橋」という。同名のものが浅草の業平橋駅のそばにもあるが、ここにこの名の橋があるのは、やはり矢板線がらみなのだろうか。矢板線を知らない人にとっては、きっと摩訶不思議な命名の橋って事になるのだろう。
■最後の左カーブを曲がりきると、東北本線のビームが右手から。(53) |
■右手奥から寄り添って来た矢板線は、線路脇の道路のあたりを走っていた。(54) |
東武橋を渡ればいよいよ最終コーナー、道は左手へとカーブして、見えて来た架線柱の列へと寄り添う。全長23.5km、非電化で蒸気列車のまま最後を迎えた東武矢板線の旅は、ここに終着を迎えた。駅跡付近は既に住宅地として整理されてその痕跡は無いが、確かにここにピーコックの憩うホームがあったはずだ。東北本線をまたぐ跨線橋の上に立って眺めてみると、道路と化した線路跡に車の姿は見えず、周辺の住宅地もシンとして人の気配は無い。ガランとした駅前で輪行袋に自転車を詰めようとフレームを裏返せば、あのトンネル前の泥道で拾って来た泥が、塗装も見えないほどに幾重にもこびり付いていた。
−おわり− |