東武鉄道 矢板線 2001/10 (1)新高徳 |
矢板線の沿革 |
この秋のメインイベントは、東武矢板線跡。これは長年温めて来た企画だけれども、なかなか訪問を果たせずにいた。それがやっと実現するのだが、せっかく行くならここはやはり東武スペーシアに乗らない手は無いという事で、でさらに、せっかくスペーシア乗るんじゃ、ここは伝統のターミナルから旅立たねばなるまいという事で、東武の浅草駅にやって来た。
ご存知の通り、東武鉄道の浅草駅は松屋というデパートの建物の中にある。昭和6年に出来た、都内初のビル構内にある駅だ。だがそのためホームの有効長は短く、且つ先端部は急カーブを描いている。出発を待つスペーシア「きぬ103号」も、先頭の方の何両かはホームとドアの間に板を渡して転落を予防しているのが、その窮屈さを象徴している。
■東武の浅草駅。都内初のターミナルビルとして、昭和6年に松屋浅草支店と共に開業。(1) |
■浅草駅3番線。テールライトを点けたスペーシアが、北千住方から静々と入線して来る。(2) |
■ホーム先端はカーブがきつく、車両との隙間はご覧の通り。入口に板が渡してある。左隣は「りょうもう」。(3) |
さて切符と照らし合わせながら自分の座席まで来ると、何と初老の女性が既に座っている。それだけでなく、男性二人も加えたグループ旅行の様で、前の席を反転させてワイワイとやっているではないか。まぁ、他の席もガラガラだからいいかと、一応私の席である旨を知らせた上で一つ後ろの席に陣取った。ところが発車してすぐに停車した次の北千住ではドヤドヤと大勢の人が乗って来て、結局私は本来の席、3人の初老グループのボックスへ気まずく納まるしかなくなった。
ところが意外に話がはずんでしまったのだ。彼らは関西から親戚の結婚式で東京にやって来て、そのついでに日光方面へ旅行に行くと言う。男性の一人は山歩きが趣味で、色々と関東の山の名前が出て来るので、つい私も話に引き込まれてしまった。最後には下今市で乗り換える彼らを、「お気をつけてー」と見送る私がそこにいた。
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すっかり気分が良くなったが、そこから先の鬼怒川線はガクっと線路の規格が落ちる様で、危なげにゆっくりと大谷川の鉄橋を渡った後もなかなかスピードが乗らない。たらたらと10分ほど走って、下車駅新高徳の細長いホームへと滑り込む。一緒に数人が降りたが、トイレに行って帰って来ると既に人っ子一人いなくなっており、だだっ広い駅前広場には矢板行のバスが一台、エンジンを切って客待ちをしていた。 とりあえず自転車を組み上げた後、駅付近を一通り観察して歩く。バス停の向こうに、道路を隔ててゆるく湾曲した細道が見えるので、それが矢板線の跡なのだろう。してみると新高徳のホームを外れてすぐの場所から、線路は急カーブを描いて東へと離れていったようだ。尤もその頃、ホームはもっと短かったのだろうが。駅に隣接している荒地があるが、出発準備に勤しむピーコックの居た新高徳機関区は、このあたりだったのだろうか。
[ Map ]
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■新高徳駅。最近出来たらしい真新しい跨線橋が目立つ。(5) |
■新高徳からしばらくは、住宅地の中をゆるくカーブする道路となっている。(6) |
■その先は両側を森に遮られた、雰囲気のいい直線路が続く。(7) |
自転車に跨り、静かな道を進んで行く。車の殆どやって来ない道は、やがて住宅地から林間の小径となり、木漏れ日の中で体を縞模様にしながら気持ちよく走る事が出来る。天気は快晴に近く、小春日和と呼ぶにはまだまだ暑すぎるくらいの陽気だ。しばらく行くとT字路となり、正面に無人のダンプが 1台駐車している。その脇をすり抜け、草薮を掻き分けて少し進むと、まずは矢板線跡の中で最大クラスの遺構に行き当たる。遅沢川にかかっていた橋梁の橋台だ。
■T字路の先も路盤跡は続くが、いきなりこの薮こぎを強いられる。(8) |
■緑陰に屹立する遅沢川橋梁の橋台。これは新高徳側のもの。(9) |
自転車をその場に置き、その高徳側の一基の脇から河原に降り立つと、川を挟んで対峙するこれらの雄大な全貌を眺める事が出来る。上空に張り出した緑の間から射し込む光にキラキラと川面が反射し、清冽な水はコロコロと気持ちの良い音をたてて流れて行く。ここでお弁当でもひろげたいところだが、まだ時間は10時を少しまわったばかりなので諦めて先へ進む事にした。今降りて来た崖をよじ登り、自転車の所まで戻る。
■新高徳側路盤下から、遅沢川を隔てた対岸の橋台を望む。(10) |