○車輌
矢板線末期の運行を受け持ったのは、新高徳機関区のピーコックと呼ばれる古典的蒸気機関車達。これは、明治初期に東武鉄道が英国ベイヤー・ピーコック社から輸入した2B型テンダー機関車で、同時期に日本鉄道や官鉄も導入し、後に国鉄では5500型となった。東武では他線区でも数多くのピーコックが活躍したが、矢板線に配属されていたのは 8,58,59号機の 3両だ。
唯一両だけ存在した客車はコハフ13で、これは東武初の電車デハ1形の電装を解除して客車化したという珍車。これに無蓋車トム、有蓋車ワム、緩急車ワフ等を組み合わせたミキスト(貨客混合)編成が、矢板線の標準列車だった。
参考:
- 「トワイライトゾ〜ン MANUAL 5」 (株)ネコ・パブリッシング
- 「思い出の鉄道廃線跡を訪ねる旅26選」 成美堂出版
- 「地形図で訪ねる鉄道史」 JTB出版
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○運用
矢板線の日常は、終日一本の列車が路線上を行ったり来たりするという形態をとっていた。始発は新高徳発で、途中の玉生までを往復する。次からが全線を走破する列車で夕方までに 3往復を行ない、最終はやはり玉生までの区間列車となり、夜9時頃に新高徳へ戻るというスジが引かれていた。
これらは、途中で貨物の受け渡しのある場合、機関車は一旦客車を置き去りにして貨車の入れ替えに勤しむという運用を行なっていた様だ。その分余裕を持った時刻設定がされていたのだろうが、時代を感じさせるのんびりとした光景が目に浮かぶ。
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