■いくら同類とは言え(^^;)、あまり気持ちのいい立て札ではない。(11) |
■あら?鉄錆色のガーダーが!と思ったら、これは用水路の導管が沢を渡る橋だった。(12) |
さて道は沢の奥を渡って川の向こうへ出られるはずなのだが、走って行くといきなり「クマ出没注意」の看板に出くわす。それでもめげずに進んで行ったが、その先でゲートが閉まっており、そこから奥は草の生い茂る暗い道だ。さすがに少々危険を感じ、ここは一旦車道まで降りて川向こうから逆走行する事にした。少し先から田んぼの中の農道を先ほどのポイントのあたりまで戻ってみたが、何の事は無い、その走っていた道自体が線路跡の路盤だった様だ。
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Uターンして再び先を急ぐ。空は青空に少し秋めいた雲が気持ちよくスジを引いており、走りながら振り返ると彼方に日光連山がせり上がって来る。道谷原という集落のあたりで線路は大きくカーブしていた様だが、山裾を巻きながら伸びていた築堤が里中へと向きを変えるあたりで、線路跡は整理された農地のマス目の中へと消えていった。西古屋ダムから降りて来た送電線が引き込まれている変電所のあたりも、新しい車道が通ったりして今ひとつ判然としなかった。
白石川を車道へ迂回し、その先の船場から再び線路跡の生活道路が始まる。ここは通学路になっているためか、昼間に車が通れるのは 9時から 13時の間だけだ。まぁ、そんな規制をしなくとも車がバンバン通り抜ける様な道には見えないが、ともあれ安心して自転車で道の真ん中を行く。鉄道の沿線風景で良く見る様な製材所の間を抜け、少し行った所が最初の駅、西船生だが、ここには既に何も痕跡が無い。 |
次の船生との間には、土佐川という小さな河川が流れる。わりと新しそうな橋の上で、ガードレールにもたれてしばし休憩。川のほとりでは 3人の子供達が、手に手に虫取り網を持って何やら楽しそうに歩いている。私も何となく懐かしい気分になり、自転車をそこへ置いて下の土手へと降りて行った。横から見ると橋台もコンクリートのがっちりした物で鉄道の遺構では無いみたいだが、玉石の積まれた翼壁はもう少し古い時代のものの様にも思われた。すぐそばには雨に侵食されて文字が判然としないが、「境界標」とかかれた杭が一本、川に落ちそうな状態で横たわっていた。
■橋の袂でひと休み。遠くに見えるこんもりとした山は富士山というのだが...。(17) |
■新土佐川橋の翼壁は、少々時代を感じさせる。果たして矢板線のものか?(18) |
■川の土手に落ちていたコンクリの杭。雨に侵食されているが、「境界標」と読める。(19) |
リュックのお茶を一口喉に流し込み、再び自転車に乗って先へ進む。右手前方には駱駝の背中の様な形をした小さな山が見えるが、地図によれば富士山となっている。「なんでこれが富士山なんだぁ?」と思っていたが、その疑問は 5分程の走行の後、「なぁるほど」と氷解する事になる。船生の村へ入り、南へと向かう車道を横切るとその先が船生駅跡。ここにはホームが残っており、往時をしのぶ事が出来る。上に倉庫が乗っていてホーム自体も一部切り取られてはいるが、そこから奥へ行って見ると裏手にも貨物ホームが半分埋まって地面から顔を出している。
■おぉ!こちらから見れば確かにこれは富士山だ。稲の穂先が風に波打って美しい。(20) |
■船生駅ホームの上には大きな倉庫が。中央で切りかかれ、道が出来ている。(21) |
■その裏手には、貨物ホーム跡も駐車場の中に残っている。(22) |