■切り通しの上には、蔦のからみ放題になった跨線橋。手前の遺構らしきものは何だろう。(38) |
■ピーコックには難所の登り坂。自転車なら軽〜いかるい!? (36) |
■線路脇の沼と立ち枯れ。どこか北海道の山中を連想させる光景。(37) |
街を出て荒川を渡ると、線路はいよいよ矢板との間に横たわる山岳地へと向けて、登り勾配に差しかかる。こちらもサドルから腰を浮かしながら、エッサホイサと汗をかきかき登って行くと、切り通しの頭上に跨道橋が見えて来た。これは鉄道時代の地図にも同じ位置に記載が見えるので、当時からある跨線橋なのかも知れない。その手前の道端には、何やらいわくありげなコンクリの用水桶の様な物が残っていた。
やがて周囲が高原状になって来ると、下からの車道と合流して柄堀の駅跡へと至る。ここにはホームは残っていないが、当時からあるという駅前商店が今も営業中だ。その先で線路跡は、いよいよこの区間のハイライトとも言えるトンネルへと続くのだが、残念ながらここは現在閉鎖されている。かすかな望みと共にここまで上がって来たが、容赦ないバリケードが行く手を塞いでおり、こちら側からはトンネルの入口さえ拝めないのだった。
■いい感じのカーブだ。風景も高原状になって来る。(39) |
■おそらく矢板線中で最高所駅の柄堀。右が線路跡、左が駅前広場か。(40) |
■トンネルは崩落の恐れありで閉鎖。新高徳側は入口まで行けない。(41) |
仕方なく本道へと下り、峠を越えて矢板側からのアプローチを試みる。こちらはまんま鉄道の築堤がピークへと向かって登っており、自分もピーコックになった気分でじわじわと上り坂を詰めて行く。随所に「この先通行止め」の看板が見えるが、道は塞がれていないのでそのまま真っ直ぐに突き進む。途中で私を追い抜いていった他県ナンバーの四駆が、苦しそうに狭い道で方向転換している脇をすり抜けると、目の前にはトタン板で全面を封鎖されたトンネルが立ち塞がっていた。
■矢板側は、「この先通行止め」の標識を見つつ登って行くとポータル直前まで至る事が出来る。しかし道は荒れ放題。(42) |
こういうものは、やはり使われなくなると驚くほどに衰えた容姿を呈して来るものだな...。写真で見た、口を開けていた当時のトンネルと比べ、そのあまりの変貌ぶりに落胆して、撮影もそこそこにその場を後にして今来た道を下り始める。人通りのなくなった道は泥だらけで、スピードを出すと跳ねるのでコントロールしつつ下って行く。少し下ったあたりで気持ちの良さそうな田んぼの縁の小広場を見つけ、先も見えて来たのでここらでお昼にする事にした。とは言え、おにぎりを二つ頬張るだけなので食事はあっけなく終わってしまい、後は添えてある沢庵を噛み締め、チビチビとペットの緑茶を舐めながら、しばし草の上に寝転がってまどろんでいた。
■ここでお昼にしようか。いつものリュックといつもの敷き物(^^;) (43) |
■昼寝しつつ築堤を遠望する。右手奥のトンネルから下って来ている。(44) |
■食後に荷物をまとめている手に、こんな来客が。ピタっとくっついて離れない。(45) |
田んぼの向こうには切り通しを抜けてきた線路跡が、今度は築堤となって里の方へと下って行くのが見えている。あそこをあの機関車も短い編成を引いて駆け下って行ったのか、と想像しているとどこかで汽笛が鳴っている様な幻聴も聞こえて来そうだ。雲もだいぶ流れて来たので、少し先を急ぐ事にしよう。次の幸岡までは山間の道をゆるゆると下って行くので、殆どペダルを回す事なく風を切って気持ちよく自転車が進む。駅が近くなると廃線跡は大通りに合流し、そのまま真っ直ぐ幸岡の構内へと降りてゆく。
■ススキの穂が揺れる脇を、線路は里へと下って行く。ピークを超えて、機関士もホッとした事だろう。(46) |