その先、隣の天頂との間には長峯荷扱所があり、林用軌道からの荷物を受けていたらしい。この軌道、営林用の手押軌道で、北方にある東古屋のあたりから材木を下ろしていたようだ。地図により荷扱所のあったと思われる場所に立ってみれば、細い畦道の様なのが北からまっすぐに下って来て、矢板線跡の道路と直角に交ちわっていた。そこから高徳方向を眺めれば、船生駅跡の倉庫がすぐそこに見える近さだ。しかしこのあたり、走っているとすれ違った地元の子供達が「こんにちわー」といって気持ちよく挨拶して行く。挨拶しましょうという運動が浸透しているせいだろうが、見知らぬ余所者にもこうして声をかけてくれるのが嬉しい。
■怪しい未舗装の小道が矢板線跡に直交。ここが荷扱所だったのか。(23) |
■道はゆるく右カーブして、天頂駅へと向かう。(24) |
次の天頂駅は今もしっかりとしたホームの上に、公民館が建つ。ホームの向こうには裏手の車道から道が降りて来ているが、特に駅前という雰囲気は無い。建設当時は天頂鉱山の鉱石輸送のために設けられた終点駅で、どちらかというと貨物主体の駅だったのかも知れない。コスモスの花に囲まれ、苔むして佇むホームは何を語るか。駅の北側にあったという天頂鉱山だが、地図にも既に記号は無く、それらしい崖の記載が若干残るのみだ。
■天頂駅跡のホームには公民館が建っている。裏手にあるのが本来の道だった。(25) |
その先は柵により車の進入がブロックされている区間だが、自転車は特に規制する標識も見えなかったのでそのまま進む。右手は森、左手は小川が寄り添っているが、この区間の中間点あたりには鉄道のものと思われるコンクリートの柵が続いていた。森を抜けると芦場の集落に出て来るが、ここにもホーム跡がしっかりと残っており、住民が植えたのだろう、その上には花木がこんもりと茂っていた。道は心地よいカーブを繰り返しながら、玉生への道を遮る尾根へと向かって進んで行く。
■新高徳方を振り返る。右手の藪の下には小川が流れている。(26) |
■藪の中には、鉄道柵。だがコンクリ製なので後日の物のようだ。(27) |
■芦場駅跡にもしっかりとホームが。ここは花壇と化していた。(28) |
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両側から山が迫って来ると線路跡は車道へと合流し、一緒になってサミットへと登って行く。自転車にとっては大した坂でもないが、2軸動輪のピーコックは苦労して貨客混合のミキストを引いて行った事だろう。さて資料によればこの小峠を越えた先にトンネルの入口が残っているらしいが、右手には何やら大きな工場の敷地が続いており、とてもそんな雰囲気には見えない。キョロキョロしながらペダルを踏んでいると、現場の出入り口から飛び出して来た大型のダンプに、危うく踏み潰されそうになって肝を冷やした。
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その向こうにちょっとした駐車場の様な場所があったので、とりあえず地図を見ようと思い車道からそれてその敷地にお邪魔する。するといきなり目に飛び込んで来たのが、あんぐりと大きな口を開けた件のトンネルの姿だった。もうちょい奥手にあるものと思っていたが、こんなに道路からすぐの場所にあるなんて意外な感じがした。さすがに入口はゲートでがっちりとガードされているが、隙間から中を覗くと色々な物が置いてあり、倉庫がわりとして使われているみたいだ。
■いきなり出くわしたトンネルポータル。こんなとこにあるとは思わなかった。(31) |
■中は予想外に綺麗に整頓されて使われている。トンネルも本望だろう。(32) |
そこからゆるい坂を下って行くとすぐ玉生の町に入り、大きな交差点の角に珍しくコンビニがあったので昼食を買い込む。たまには手の込んだ野外料理などもしたい所だが、午前中の探索に時間を取り過ぎたせいか、もうお昼もだいぶまわってしまっている。というわけで、今日はおにぎりを 2つだけ仕入れて、途中で食べる事にした。せっかく背負い込んで来たガスコンロとコッヘルが、背中でカタカタと音をたてている。残念ながら本日、君たちの出番は無さそうだ。
道路を挟んだ向かい側には大きなスーパーがあるが、その裏手には畑の真ん中にふっくらとした築堤が弧を描いている。まったく40年も経っているのに、良く残っていたものだ。街中へと進んで行くと、コーナー状になった路地をまわった先が製材所になっていた。ここらが玉生駅跡地と思われるが、周辺の事務所や商店等、いかにも駅前の様相を呈している。さすがに沿線中唯一の大きな町だっただけに、他の駅と比べて駅前の賑やかさは抜きん出ていた様だ。
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