1. 武蔵野北高~柳沢五丁目
注意:線路を入れた写真は想像図であり、実際の経路とは異なる可能性があります。まずは前回の終着点である、武蔵野中央公園へとやって来た。今日は休日とあって、模型ヒコーキフェスティバルなるものが開かれる様だ。その看板の前でまずは無難な一枚をパチリ(写真:上左)。 なぜ無難な写真かと言うと、それは行き着けのスピードラボの事である。引き取りに行くと写真の確認という儀式があるが、「こちらのお写真で間違いは...」といいつつ一枚目を見せられる時、毎回何やら意味不明の草薮やら地面の写真だったりするので、上目遣いに見る店員の態度が最近ちょっと怪しげなのだ。
無事、カムフラージュ写真を収めて、移動開始。実際にはこの簡易鉄道は武蔵野中央公園の西北端部、都立武蔵野北高校のあたりから敷地外へと出て来ていた。線路は北高前の関前橋交差点あたりで、伏見通りを横切って行く(写真:上中)。 渡った先が、玉川上水から北へと分かれた千川上水で、ここは簡易な橋で渡っていたものと思われるが、当然ながら今となってはその痕跡は無い(写真:上右)。
千川上水を渡って伏見通りを東伏見稲荷神社の方へと向かい、最初の信号を左折。しばらく進むと、新柳沢団地だ。この団地内の南側を線路は通過していたはずだが、具体的な位置関係はわからない(写真:上左)。 団地から出た先は今でも小区画の畑が残っており、簡易鉄道はこの敷地のどこかを進んでいったものと思われる(写真:上右)。
「うちの畑の境にあった茶の木を取ってレールを敷いたので、撤去したあと植えかえた。その部分だけ育ちが違うので今でもわかる。」(多摩のあゆみ 第79号「幻の鉄道が見えてきた」より引用)という証言が得られたのも、このあたりの畑の様だ。