■1999/07 |
かつて武蔵野市にはその名も「武蔵野競技場」という球場があり、三鷹からそこまで観客輸送のための鉄道が存在した。電車は主に競技の開催される日にだけ限定で、東京発武蔵野競技場前行というスジがあったと言う。
ここはグリーンパーク球場とも呼ばれ、当時の国鉄スワローズなどの公式戦が行われたが、都心から遠い等の理由で実質 1シーズンで打ち切りとなった。電車の方もしばらく休止状態が続いたが、8年程して廃止になってしまったという。
そもそも昭和26(1951)年に開設された「武蔵野競技場」は、戦前からこの地にあった中島飛行機武蔵製作所の跡を再利用したものだ。 また中島飛行機からは、保谷市にあった中島航空金属の工場へと連絡する簡易軌道もあったという。この軌道は極短期間存在し、当時目撃した人の証言(梯子状の鉄枕木線路、タライの様な煙突)からすると、鉄道連隊が敷設したものだとの説が有力になっている。 さらにその中島航空金属へは、西武池袋線の東久留米駅から引込線が来ていたので、中央線から西武新宿線をクロスして西武池袋線へと至る、一大連絡網が(一時的にではあるが)出来ていた事になる。もちろん、お互いの軌間が異なるために直通する事は不可能だったわけではあるが。 というわけでこの付近、結構侮れない地帯なのであるが、とりあえず今回はその第一歩という事で武蔵野競技場線を探ってみたいと思う。 |
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