その鉄道は確かに存在した…

2. 柳沢五丁目~西武線交差部

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線路はゆるく右へカーブし、深大寺街道の西側へと出る。このあたりは若干の窪地となっているが、当時も勾配で機関車が登るのに苦労していた様だ。 その先は間もなく青梅街道だが、手前には石神井川が行く手を阻んでおり、ここを松の木で作った桁で越えていたという。う~んしかしこの無骨な鉄材では、川の風情を感じる事は全く出来ないじゃないか…(写真:上左)

青梅街道を渡る所は手動の踏切だったとの事だが、鉄道も道路も、今に比べたら格段に少ない交通量だったのだろう。 当時はまだ青梅街道も砂利道だったそうだが、ここをトコトコと小さな機関車が渡って行くのは、一度見てみたい光景だった。彼方には西武のガードがあり、黄色い電車が勢いよく駆け抜けて行った(写真:上右)

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ながい信号の変わるのを待って青梅街道を渡ると、その先には細い路地が延びている。そこを民家の塀の間を進んで行くと、奥には問題の小さなガードが待っていた(写真:上左)。 主要部分はコンクリートの補強が新しく見えるが、左右の翼壁は確かに苔蒸して時代を感じさせる。構造的にはガードというより、コンクリート函渠の様だ(写真:上中)

しかし不思議なのは、この前後の道が不自然に屈曲している事。とても鉄道が曲がれるカーブと思えないが、鉄道連隊の野戦鉄道規格となれば、このぐらいは平気で通過してしまうんだろうか。それともこの道は別物で、民家の敷地の中をズンズン通り抜けていたのかも知れないが。 [ 証言 ] by 松崎 さん

ガードをくぐって北側へ出る。頻繁に通過して行く西武新宿線の近代的な電車を見上げていると、ここにそんな過去の歴史があった事等、とても普通は想像する事が出来ないだろう(写真:上右)