- 証言集
- 2007-09-23
私が子供の頃に潮干狩りに行ったのは、千葉の船橋の海だった。その頃、品川でも潮干狩りができたのかもしれないが、たぶん東京の下町からは船橋が近かったのかもしれない。
それに、船橋あたりの海岸には谷津遊園があった。
1960年頃までは、船橋から千葉にかけての京成線は海岸線を走っていた。今の谷津駅は昔、谷津遊園駅といった。
すぐ南には谷津遊園と海岸があった。今、谷津駅の南にある谷津干潟は、海だった頃の名残だ。
谷津遊園のことは朧げにしか覚えていないが、春は潮干狩り、夏は海水浴、秋には菊人形を見に行ったような気がする。
その後、船橋の砂浜も干潟も次々と埋め立てられて、砂浜は消えてしまった。
昔は海だったところが、人の住む町になって、京葉線が走っているのは不思議な気がする。
かつて三番瀬と呼ばれた干潟を埋め立てた船橋海浜公園で、今は潮干狩りができるそうだ。人工海浜なのだろう。
船橋の自然の砂浜で潮干狩りをした頃は、アサリがなかなか採れなくてバカ貝ばかりだった。それでもたまにハマグリや赤貝を見つけることもあった。
貝を見つけて親に見せると、「貝の表面のツルツルしたのはバカ貝だよ」と教えられ、砂浜に捨てた。
バカ貝は、青柳として寿司ネタにもなっているが、潮干狩りでは採らなかった。生で食べる以外は美味しくないのかもしれない。
この証言は、ブログ「新明解言葉辞典」より 七会 静 さん の許可を得て転載させて頂きました。また、その後写真も送って下さいましたので、以下コメントと共にご紹介します。(H.Kuma)
写真は、小学校の遠足の写真で、写っている先生や友達から昭和36年のものと思われます。
皆さんがお書きになっている城と、明治チョコレートのポールなどが写っています。
ポールは上が切れていますが、何だったのでしょう。
この遠足の時のことは何も覚えていません。遊戯施設では遊ばなかったのかもしれません。