- 証言集
- 2002-10-06
私は昭和38年に東京でうまれ幼少期を船橋の高根台ですごし、その後小学生~高校を卒業するまで隣の八千代市で過ごしたため京成、新京成には思い出が沢山あり、谷津遊園に関してもいくつか思い出したことがあったので証言します。
皆さんが記憶に残っている潮干狩りの桟橋ですが、確か遊園地の閉園よりかなり早い時期に潮干狩りはなくなっていたような気がします。というのも、私自身、小学4年生くらいだったと思いますが、谷津遊園に遊びに行ったのか、それとも誰かのお父さんの会社の運動会で行ったのか定かではないのですが、そのときに本来ならば立ち入り禁止だった朽ち果てた桟橋の上を悪友3人と渡った記憶があります。
渡ったと言っても歩いて渡ったわけではなく、朽ち果て天板の無い柱だけになっていた桟橋をまたいでずるずるとお尻をずってその先端まで移動したのです。当然、下は海。確か沖合いでは埋め立て工事も始まっていて水平線など見えず、おそらくはもう干潟になっていたのでしょう。どれくらいの距離を渡ったのかは定かではないのですが、おそらく数十メートルはあったのではと思います。何の目的があったわけでもないのですが、午後から夕方にかけて正面に太陽をみながら桟橋の先端を目指したのを覚えています。
その他の記憶ですが、確かにビックリハウスはありました。洋風の城、バラ園、ミニ京成電車にはコース内に鉄橋があって、そのコース自体もジェットコースターの下を通っていたような記憶があります。ヘリコプターはよく高根台の団地から見ることができたように思います。また、ミラーハウスもあったんじゃなかったかと思います。それと、プールと、その近くにあったチョコレート色の開運号も覚えています。白熊とペンギンもいたかも。
そして、園の門と京成線の駅までの間はやはりどこかの参道のような趣でお土産屋や食堂が何軒かあって、サザエとか焼いていた香りの記憶があるような、ないような。一度だけ帰りにおもちゃを買ってもらった記憶があります。直径20センチ程の鉄製のジオラマで5センチくらいの電車のようなものと針金の先にこれまた5センチくらいの飛行機がついていてぜんまい仕掛けでくるくる回るものでした。
何度となく谷津遊園には行ったのでこのおもちゃを買ってもらったのはおそらく幼稚園の年中の頃だとおもいます。さすがに朽ち果てた桟橋を渡った頃このおもちゃをほしいとはいわなかったでしょう。何度谷津遊園に行ったのか正確にはわかりませんが4歳から11歳くらいの間年に1回程度は行っていたのではないでしょうか。それでも6~7回くらいなものなのですね。でも、こんなものでしょう。また、何か思い出しましたら証言します。