草津と軽井沢、かつてこの2大観光地を結ぶ鉄道が存在した。これは驚くべき事実である。最大勾配40/1000(実際はそれ以上あったらしい)を、平均15km/hの速度でゆっくりと登って行く高原列車。女の子が飛び降りて花を摘み、また飛び乗るという芸当が出来た愉快な列車。それが草軽電鉄の姿だ。
大正4(1915)年7月に、草津軽便鉄道として新軽井沢〜小瀬温泉10.0キロを開業して以来、順次路線を北に伸ばし、大正15年9月についに終点の草津温泉に到達、これで草軽電鉄としての全線55.5キロが完成した。建設費390余万円であったという。
一時は、観光客や万座から採出する硫黄の輸送で成績を上げたが、その後長野原線の開通やモータリゼーション、さらに追い討ちをかける様に台風にやられ、昭和37年1月31日、全線廃止となってしまった。実に惜しい事をしたと思う。今に生き残っていたなら、かならずや観光列車として注目されていた事だろう。
草軽電鉄跡を訪れる人は今も多いが、今回私は、NIFTY:シクロツーリズムフォーラムのツアー主催者として、自転車の一団を率いて現地を訪れる機会を得た。