1.白鬚線
「線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽われて、此方から見ると城址のような趣をなしている。」(永井荷風:濹東綺譚より)
永井荷風の濹東綺譚の一節には上記のような停車場跡の記述が出て来るが、これは文中にもある通り、京成電気軌道の白鬚線にあった玉ノ井駅の事を書いたものだ。 この物語の主人公「わたくし」は荷風自身の体験によっているものと言われている。 そしてその後晩年になって作者は京成八幡駅近辺に居を構え、京成電車に乗ってこのあたりへ出掛けて来る事もしばしばであったという。 荷風を気取るにはいささかまだ若造ではあるが、作品に描かれたそんな下町情緒も感じながら白鬚線跡の全線を歩いてみたいと思う。
白鬚線は、都心進出を目指す京成が、隅田川対岸の三ノ輪まで来ていた王子電車(現都電荒川線)への乗り入れを目論んで敷設した路線。 開通は1928(昭和3)年、当時本線だった押上線の向島駅から分岐して長浦、玉ノ井(京成の沿線案内図には「京成玉ノ井」と記載)を経て終点白鬚へ至る1.4kmの支線である。 しかし期待されたほど乗客数は伸びず、その後、筑波高速度電気鉄道の免許を利用し、青砥から分岐して上野方面へ至る新規の路線が完成した事もあり、開通後僅か8年で廃止に追い込まれた。
Photo1: 曳舟付近
白鬚線を訪れるには曳舟駅で下車し、曳舟川通りを八広(旧荒川)駅方向へと歩いて行く。 この通りは文字通り曳舟川の跡で、今は暗渠化されて地下を流れているそうだ。 下町らしい沿道の風景を楽しみながら、途中から、押上線の踏切へと向かって細い通りに分け入る。
白鬚線の起点となる向島駅は京成曳舟と八広駅の間に位置していたが、現在もそのホーム擁壁が線路脇に残っている。 これは初代向島駅の物で、その後上りホームは踏切を挟んで高砂寄りの側へと移転した。
Photo3: 向島駅付近
向島駅跡付近から高砂方面を望む。 ここから線路は次の八広駅へと向けて高架を駆け上がって行くが、白鬚線はその坂下あたりから左手へ分岐していた。 斜めに建つ都営アパートの左脇が軌道跡。
Photo4: 分岐部付近
分岐部付近の軌道跡に建つ変形建物。 線路のカーブに沿って?と言うより、道の角に建ってるのでこんな形になっているようだ。
Photo5: 曳舟川通り
養護学校の敷地を斜めに抜けると曳舟川通りを渡る。 白鬚線の現役当時は曳舟川が流れていたので、短い橋が架かっていた。 通り向こうの3階建てビルのあたりが長浦駅跡で、その向きは線路方向を示している。
Photo6: 長浦~玉ノ井駅間
長浦から玉ノ井駅の間は線路跡に民家が密集している。 ここは、道路左手の住宅列が白鬚線の走っていた場所。
Photo7: 水戸街道(改正道路)
続いて水戸街道を横断する。 都心方向から伸びて来たこの改正道路との交差問題も、白鬚線廃止の理由の一つだ。 軌道跡は、駐車場敷地からその奥の白い民家へと続く。