2.旧線跡
押上線開通当時、四ツ木~京成立石にかけては主に奥戸街道上を走る併用軌道で、線路は現在線と8の字に交差するような線形で敷設されていた。 地図で見ると四ツ木、立石の駅もそれぞれ現在地とは若干離れた場所に開設されており、1923(大正12)年、荒川放水路の開削と同期して行なわれた専用軌道化に際し、今の場所へと移転して来たとの事だ。 今回四ツ木駅周辺のわずかの区間だが、旧線跡を歩いてみた。
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Photo18: 四ツ木駅
四ツ木駅脇に残る鉄道用地。 荒川鉄橋の架け替えにより、駅は1999(平成11)年に若干下流側へ移動した。 これもまた一種の廃線跡だ。
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Photo19: 四ツ木付近
四ツ木は駅前に広場もなく、目の前の路地を入るといきなり住宅地となる。 このあたりにも銭湯が目立ち、下町の雰囲気は充分だ。
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Photo20: 四ツ木一丁目付近
立石方面から奥戸街道を走って来た京成電軌は、四ツ木の手前で専用軌道に入り、集落裏手をカーブでかすめてこの場所へ出て来る。 写真で右手から斜めに合流するのがその電車道で、線路跡はここで踏切を渡り荒川へと向かって行った。
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Photo21: 四ツ木一丁目付近
専用軌道跡はそのまま道路化されたようだ。 この周辺は「まいろーど四つ木商店街」となっており、庶民的な雰囲気の店が多く並ぶ。 画面奥が荒川方向で、四ツ木駅のあったのはこのあたりか。
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Photo22: 四ツ木二丁目付近
京成タウンバスがやって来た。 この会社は、京成電鉄奥戸営業所の一部が分社化されたものだ。 小ぶりなバスが小まめに乗客を拾いながら、京成電軌の軌道跡を進んで行く。
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Photo23: 四ツ木二丁目付近
街道から専用軌道へ分岐する部分。 左へカーブして荒川方面へ分かれて行く道が専用軌道跡で、右にまっすぐ進むのが元からある道路。 今は軌道跡の方がメインの道路となっているようだ。
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Photo24: 併用軌道区間
この道を京成電車が走っていた。 もちろんその当時は今ほど家が建て込んでいなく、周囲は一面の田園地帯だった筈だ。
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大正8年 |
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平成17年 |
以上、押上線周辺に残る京成電気軌道の歴史を求めて、沿線を少し歩いてみた。 昨今の連続立体化工事など変貌著しい押上線だが、今に残る開通当時の面影を探してみるのも又一興かも知れない。
参考:
- 「地形図でたどる鉄道史」今尾恵介 編著
- 「鉄道廃線跡を歩くIX」宮脇俊三 編著
- 「鉄道ピクトリアル 767」鉄道図書刊行会 発行