私の自転車たち Icon Icon Icon

私と自転車との出会いは、小学校の3~4年頃だったと思う。 それまでさしたる興味を感じていなかったのか、私は自転車というものに乗れないままこの学年になっていた。 両親も特に教える事もせず、その楽しみを知らずに時が過ぎていた。

そんな自分が自転車の練習を始めたのは、近所の友達(だいたい私より低学年だった)が乗り出して、やはり多少のあせりがあったのだと思う。 当時、近所のみんなで共有して乗り回していたボロ自転車を使って練習し、やっと何とか乗れるようになった。

早速親に買ってもらった自転車は、ごく普通の青い子供用自転車。 今となっては殆ど記憶にないので、これといった特徴はなかったのだと思う。 しばらくはそれに乗って、飛躍的に行動範囲が拡大した事に喜んでいた。

次に買ってもらったのは、いわゆるジュニアスポーツ車。 小学校6年の頃だったかな。これが富士の25インチという特殊なサイズで、はたしてほんとうに25インチのタイヤだったのかは覚えていないが、小柄な自分にはちょうど乗りゴロのサイズだった。 塗装は渋い艶消し黒!

その後流行ったデコチャリまではいかないが、結構色々付いている車で、ヘッドライトは2灯+フォグランプ2灯。 といっても黄色いフィルタが入っているだけだったが...。 あと、尾灯がトランジスタ制御!?でフラッシングするという当時としては画期的な電装を持っていた。

しかもこれが、ブレーキワイヤーについたセンサーに反応してストップランプにもなるというしろもの。 自転車のストップランプがどこまで役に立つのかはなはだ疑問ではあったが。

あと、トップチューブにレバーが二つ付いていたが、当時はリア5段変速が普通であり、変速レバーは一つしか使わない。 ではもう一つのレバーは何だったかというと、実はこれがサイドブレーキだったのだ。 傾斜地に停めるような場合は、なかなかに便利ではあったが。

Photo ニシキ・グローバル・スピード
27x1-3/8WO
(1980 ~ 1988)

さてその後はしばらくのブランクがあって、次の自転車を買ったのは実に社会人になってから。 これが趣味として自転車とかかわりだす発端となった車で、ニシキの黄色いスポルティフだ。 それほど高価な車ではなかったが、結構あちこち乗り回した。 就職して西多摩の地に来て、走るべき場所は無数にあった。

当時ツーリング記事が満載だったサイクルスポーツ誌なども参考にして、奥多摩、奥武蔵、高尾方面を走り回っていた。 夏休みには信州方面へ輪行も行なったが、輪行仕様でなかったのでヘッドを抜くとベアリングの玉がバラバラと落ちてきて、扱いに難儀したものだ。

この自転車はその後通勤用として長く使っていたが、ある日パンクして修理しようと家の外へ鍵をかけずにおいていた所、盗難にあってしまった。

>>詳細を読む:幸せの黄色いニシキ
Photo BENOTTO・ロード
600ax+EX/サイクロンMKII
(1982 ~ 2010)

とりあえずスポルティフを買ったが、次はやはり当初から欲しかったロードに手を出した。 行き着けの自転車屋へ行き、生まれて初めてオーダーというものを実行した。 いやほんとうは、その頃国内販売が開始されたプヂョーの完成車が欲しかったのだが、店の人に勧められてあれよあれよという間にパーツの構成が決まって行った。

当時全盛だったシマノのエアロパーツを中心に組んだが、ディレイラーはフレーム(BENOTTO)の関係でサンツアーになった。 また、ブレーキはエアロ引きがあまり好きではなかったので、普通のタイプにしてもらった。

出来上がってみるとさすがはロードで乗るにも担ぐにも軽く、輪行時もヘッドを外す必要がなくて便利だった。 しばらくはどこへツーリングするにもこのカッパーゴールドの愛車を駆った。 オフロードも結構これで走ったがパスハン導入以降は徐々に乗らなくなり、2010年春にリサイクルセンター行きとなった。

>>詳細を読む:BENOTTOのこと
Photo 富士・スポルティフ
24WO
(1983 ~ 1993)

次はもともと自分のではなかったが、24inch の小型バイク。 カミさん用に作成したもので、富士の赤いフレームにフロントシングル、リアは5段だ。

何度か一緒に走ったが、子供が出来てからはとんとご無沙汰。 しばらくベランダに保管されていたが、最後には私の通勤用自転車に化けた。 これが雨の日はブレーキ性能がすこぶる悪く、何度か危ない目にあっている。

ある時、友人某氏の彼女用に貰われていったが、その後どうなったことやら。。。

Photo シルク・スポルティフ
27x1-1/4WO
(1988 ~ ????)

ニシキのスポルティフが盗まれて急遽通勤用に購入したのが片倉シルクだ。 27inch-WO を履いたロイヤルブルーのスポルティフ君。

見た目はなかなかスマートな車だったが、乗り初めで南房総の山岳地帯を走ったらペダルが重くて難儀した。 その後何故か山サイで乗っていた時、美しいマッドガードに枝を巻き込んで破損。

やはり通勤用は通勤用に徹しようという事で、それ以後はツーリングに連れ出す事はなかった。 雨の日も風の日も乗り続け、天寿を全うして廃車となった。

>>詳細を読む:青い絹号の記憶
Photo マチレス・パスハンター
650B/600EX/サンプレ
(1988 ~ - )

山岳用の常用車はブリリアントパープルのパスハンター。 初めてのフルオーダーで、フレームから作ってもらった車だ。

タイヤは700Cの太めのにしようか大分迷ったが、結局650Bにした。 パーツは当時の定番で、TA のギヤ板、クランクはプロダイ、スーチャンのリム、ディレイラーはどうしても使いたくてサンプレックスを。 ただ、ブレーキまわりは性能重視でMTBパーツ(Deore-XT)を使用する事にした。

当初はその目的通り、林道ツーリングに山サイにと活躍していたが、その後私の走りが変化したため、最近はもっぱら平地乗り(というよりポタリング ^^;)が中心となっている。

>>詳細を読む:峠行のパートナー
Photo Raizin・ランドナー
26HE/ティアグラ
(2008 ~ - )

これを作ったのは2008年、山サイやパスハンティングは自分の中で一段落という感じになっていて、ゆったりとしたポタリングや平地のツーリングへの嗜好が増して来た時期でもある。 当時まだロードも所有していたが、長年の放置でとても乗れる状態ではなかった。

そんなことで、軽い林道から普段のポタリング車も兼ねた輪行仕様のライトランドナー、というコンセプトでこの車をフルオーダー。 フレームはライジン製、色はこれまで乗った事のない唯一のカラーという事でグリーンを基本とした。

私にとっては初めてのインデックス採用となり走る上ではこの上もなく快適だが、昔の癖でシフト時に時々ダウンチューブに手が行ってしまうのは困りものだ。

>>詳細を読む:バイクを作るゾ!
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