- 支線分岐部の検証 -
そこで「国土変遷アーカイブ」の米軍空中写真を閲覧した上で、現地付近の昭和22年版データを購入し取り寄せてみたのが下の写真である。 この画像で、中央の黒っぽい帯状の地帯は塩田、若しくはその跡地、あるいはそれを改良した農地かも知れないが、何れにせよ軟弱地盤の湿地帯である事は想像に難くない。 そこを斜めに渡っているカーブした白い曲線(この時点では道路?)がおそらく谷津支線の線路跡と思われる。 左上の若干白っぽくなっているエリアが花輪駅及びその駅前広場で、現在の船橋競馬場駅よりワンブロック西側に位置していた。 ちなみにこの当時の駅前広場は、今現在も京成バス発着場所となって残っている。 黒帯の北辺に沿って走っている太い道路が千葉街道(国道14号線)、そして黒帯南端から先はその昔は海だったと思われる。
米軍撮影(USA-M377-87) より
さて、谷津支線の経路を写真の中で追ってみよう。花輪駅を出た線路は、まず千葉街道を斜めに渡りにかかる。 さすがにこの解像度で踏切の詳細は明確に確認出来ないが、その前後の線形から想像するに、本線から分岐した後、街道の左カーブを利用してなるべく道路と直交させるように踏切で抜けた後、一旦その進路を街道に沿う方向に戻している風に見える。 そのため、本来そのまま離れて行く自然な線形と比べて、湿地帯(黒帯部)を渡る位置が少々東側にズレる結果となった。 線路は街道に沿って少し進んだ後で再び右カーブを描きつつ、黒帯の中に島状に浮かぶ長方形の区画北側を通過。この用地は現在の京成バス車庫敷地の一部と思われる。 その後はほぼ直線で湿地帯を渡り終え、ゆるく左カーブして対岸のエリアへと入って行く(拡大)。
その先の線路跡は写真では不鮮明(斜めに南東へ向かうラインは工事用の道路か?)だが、黒帯に一番近いブロックをそのまま東進して谷津遊園地正門前へと進んで行ったものと想像出来る(拡大)。 右下の逆くの字に曲がった道路のあたりが谷津遊園正門で、そこから一本の道路が湿地帯を渡って本線の谷津海岸(現谷津)駅へと至っている。 この時代の谷津海岸駅は対向式のホームで、上下線が互い違いに配置されていた。良くみると写真でもそれを読み取る事が出来る(拡大)。