谷津遊園と謎の駅 補遺 2007/08  

以前の記事「谷津遊園と謎の駅」で谷津支線の存在について触れたが、鉄道ピクトリアルNo.787(2007年3月臨時増刊号)の京成特集に白土貞夫氏の記事「谷津遊園をめぐる鉄道」が掲載されたので、その辺も参考にさせて頂きつつこの支線についてもう少し検証してみよう。 同記事によると、谷津支線分岐点は旧花輪駅の下りホーム端から約43mの地点で、そこは現在の船橋競馬場駅ホーム西端付近になるとの事だ。 また、地形図上では支線の線路は本線と並行しないで、駅を出てすぐにY字状に分岐しているそうで、その位置から考えると京葉道路花輪インターへの取付道路が廃線跡であるとは考え難いとされている。

- 支線分岐部の検証 -

そこで「国土変遷アーカイブ」の米軍空中写真を閲覧した上で、現地付近の昭和22年版データを購入し取り寄せてみたのが下の写真である。 この画像で、中央の黒っぽい帯状の地帯は塩田、若しくはその跡地、あるいはそれを改良した農地かも知れないが、何れにせよ軟弱地盤の湿地帯である事は想像に難くない。 そこを斜めに渡っているカーブした白い曲線(この時点では道路?)がおそらく谷津支線の線路跡と思われる。 左上の若干白っぽくなっているエリアが花輪駅及びその駅前広場で、現在の船橋競馬場駅よりワンブロック西側に位置していた。 ちなみにこの当時の駅前広場は、今現在も京成バス発着場所となって残っている。 黒帯の北辺に沿って走っている太い道路が千葉街道(国道14号線)、そして黒帯南端から先はその昔は海だったと思われる。

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※谷津支線経路は想像図であり、正確でない場合があります。
昭和22年:国土地理院 空中写真
米軍撮影(USA-M377-87) より

さて、谷津支線の経路を写真の中で追ってみよう。花輪駅を出た線路は、まず千葉街道を斜めに渡りにかかる。 さすがにこの解像度で踏切の詳細は明確に確認出来ないが、その前後の線形から想像するに、本線から分岐した後、街道の左カーブを利用してなるべく道路と直交させるように踏切で抜けた後、一旦その進路を街道に沿う方向に戻している風に見える。 そのため、本来そのまま離れて行く自然な線形と比べて、湿地帯(黒帯部)を渡る位置が少々東側にズレる結果となった。 線路は街道に沿って少し進んだ後で再び右カーブを描きつつ、黒帯の中に島状に浮かぶ長方形の区画北側を通過。この用地は現在の京成バス車庫敷地の一部と思われる。 その後はほぼ直線で湿地帯を渡り終え、ゆるく左カーブして対岸のエリアへと入って行く拡大

その先の線路跡は写真では不鮮明(斜めに南東へ向かうラインは工事用の道路か?)だが、黒帯に一番近いブロックをそのまま東進して谷津遊園地正門前へと進んで行ったものと想像出来る拡大。 右下の逆くの字に曲がった道路のあたりが谷津遊園正門で、そこから一本の道路が湿地帯を渡って本線の谷津海岸(現谷津)駅へと至っている。 この時代の谷津海岸駅は対向式のホームで、上下線が互い違いに配置されていた。良くみると写真でもそれを読み取る事が出来る拡大


昭和22年:国土地理院 空中写真
米軍撮影(USA-M377-87) より
※この空中写真は、国土地理院長の承認を得て米軍撮影の空中写真を複製したものです。(承認番号 平19総複、第325号)
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昭和22(1947)年
昭和49(1974)年
昭和49年:国土交通省国土画像情報
「千葉」(CKT-74-13) より

この米軍空撮写真に、「国土情報ウェブマッピングシステム」で見る事の出来る谷津近辺の写真を同一スケールに重ねて、支線の位置を検証しよう。 上のスライダーを左右に動かして比較出来るようにしてみたので、ご確認頂きたい。 それぞれ空中写真なので画像のゆがみによる誤差等あるかも知れないが、周辺の道路の一致状況からして2枚の写真は然程大きくズレてはいないものと思われる。 こちらの写真は昭和49年、まだ谷津遊園の存在していた頃で、右下の一角に正面ゲートとプールの一部が見えている。 中央に見える花輪インター付近はこの後さらなる立体化整備が進んでいるが、千葉街道から分岐してそこへ至る取付道路は現在と同じ位置にある。

いかがだろうか?この取付道路の場所がほぼ廃線跡であると言えそうだ。 ただ厳密に言うとやはり現在の道路とは微妙に異なっており、線路跡がそのまま転用されたのではないようである。 千葉街道を渡っていた位置は取付道路分岐より一つ船橋寄りの路地の前あたり、そして京成バス車庫の入り口近くをかすめつつ徐々に現在の道路へと合流して来る感じだ。 Google Maps で見ると、今もバス車庫横手の建物の向きにその痕跡らしきものが確認出来るのは興味深い。

それにしても驚くべきは、周辺部の昔の道路がじつに忠実に現代まで残されているという点だ。 特に写真右上の谷津駅北方エリアは昭和22年当時一面の田園地帯だったが、その畦道がほぼそのままの形で現代の住宅地内の路地となっている。 一方で、谷津支線を含む千葉街道より南側の一帯はかなりダイナミックに整地が進んでおり、当時の痕跡を殆ど残していないのが線路跡探索をより困難なものにしていると言えるだろう。

(おわり)

参考:

注意:

  • 「国土変遷アーカイブ」にて公開された空中写真データは、閲覧以外の目的で使用することはできません。
  • データを利用するには、刊行されているものを別途購入する必要があります。詳細は こちら をご参考まで。


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